――1964年の東京オリンピックで使用された日本代表の公式ユニフォーム。当時、日本のメンズファッション界で旋風を巻き起こしていたVANの石津謙介氏がデザインしたというのが定説だった。ところが、研究者が丁寧に調べてみるとそこには塗り替えられた“禁断の歴史”があった……。
本誌連載をまとめた同書は、全国書店とウェブにて絶賛発売中です。
本誌のルポルタージュ連載をまとめ、2018年1月に発売されたカルロス矢吹著『アフター1964東京オリンピック』(小社刊)。膨大な資料を基に、1964年東京オリンピックに出場した選手たちへのインタビューを積み重ねた同書で、筆者は“スポーツ”という切り口から64年東京オリンピックを顧みた。その一方で、服飾史家の安城寿子氏は“ユニフォーム”という観点から歴史を正そうとしている。
64年の“象徴”でもある、開会式で使用された白い帽子・赤いブレザー・白いズボンとスカートという選手団公式ユニフォームは、VANの創設者である石津謙介であるというのが通説であった。JOCのホームページにも、東京オリンピックの「公式服装を手がけた服飾アーティスト」として石津謙介の名前が明記されていたし、国立博物館・昭和館の08年の企画展「オリンピック 栄光とその影に」の告知ホームページでは「日本選手団の公式服装はブレザーが赤、帽子とズボン・スカートが白という鮮やかな『日の丸カラー』であった。デザインはデザイナーの石津謙介氏が担当した」と紹介されていた。
だが、安城もまた膨大な資料を基にこの説を真っ向から否定。16年9月6日、Yahoo!ニュース特集にて「64年東京五輪『日の丸カラー』の公式服装をデザインしたのは誰か」という記事を発表。“ユニフォームのデザイナーは「日照堂」という洋服店の店主である望月靖之である”と明示し、大きな反響を呼んだ。
「2020年東京オリンピックを迎えるにあたって、大事なことはまず64年東京オリンピックをしっかり検証すること」
異なる方向から64年東京オリンピックに向けてアプローチしながら、両者が経たプロセスと、辿り着いた結論はとても似通っていた。2020年を目前に、我々は五輪とどう向き合えばいいのか。筆者と安城氏が語り合った。