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【premium限定連載】芸能ジャーナリスト・二田一比古の「週刊誌の世界」

芸能記者が語る、芸能人の表の顔と裏の顔が招く悲劇

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1901_junretsu.jpg『純烈天国 』(マガジンランド)

 歌謡コーラスグループ名「純烈」には、「純粋であり、強く正しい節操や分別がある。志を変えずに最後まで貫く」の意味が込められているという。「紅白を目標にしよう」と3年に及ぶトレーニングを経て2010年にデビューした純烈。レコード会社とも契約が成立してデビューしたが、曲は売れずにわずか2年で契約は打ち切り。

「CDが売れない時代なので、新人は初回からある程度の結果を出さないと面倒を見てもらえなくなる」(レコード会社幹部)

 それでも彼らは歌える場所を求めて地道な活動を続ける。全国的なブームが続く「スーパー銭湯」や「健康ランド」だった。以前からスーパー銭湯は集客効果を狙い、落語家や演歌歌手をステージに出していたが、さほどの効果もなく、話題にもならない。といって往年の歌手に依頼しても、ギャラの問題や銭湯で歌うのはプライドが許さず、出てくれるはずもなかった。そこに目を付けたのが純烈だった。中高年女性は今さらジャニーズではない。もっと身近な歌手を求めている。中年イケメン風アイドルの歌って踊るパフォーマンスがハマった。たちまち口コミで広まり、興行関係者の間でも引っ張りだこの人気になっていた。音楽関係者が話す。

「昔は北島三郎さんが夜の街で流しをしていたが、昭和時代の主流は大箱のキャバレー。全国各地の繁華街にはステージのあるキャバレーがあった。そこで酔っ払い客やホステスに拍手やご祝儀を貰い、罵声を浴びながらも業界に認められスターに這い上がった。五木ひろしも森進一もそうでした。今はそんな歌える店がない。無名の新人ともなればなおさらだ。スーパー銭湯は盲点でした。安いギャラを5人で折半でも、数をこなせばそれなりの収入は得られる。そこに目を付けた純烈のマネージャーの手腕は評価できる」

 苦節8年。夢が叶い昨年の大晦日、「紅白」出場までこぎつけた。ようやくメジャーとして認められ、その名は全国区になった。

「歌謡歌手にとって紅白はその後の仕事に繋がり、全国の営業に回れる。5年はラクに稼げたはずで、ようやく苦労が身になろうとしていた矢先の事です」(音楽関係者)

 好事魔多し。メンバーの友井雄亮(38)の裏の顔が「週刊文春」で暴かれた。複数の女性に対する暴力・借金・不倫と3点セット。

 女性にとってこれ以上の悪い男はいないが、やむを得ない芸能界の裏事情も垣間見れる。

 歌手や役者にとって売れない時代に一番苦労するのが生活。日々の生活費をどうやって稼ぎ出すかにある。アルバイトがもっともポピュラーだが、バイトすれば日頃の音楽活動やレッスンの時間が制限され、支障をきたす。元役者が振り替える。

「やっぱり女です。生活の面倒を見てくれる稼ぐ彼女が必要になってくる。私も女の家に転がり込んで住むところと食を確保した。その為には女に尽くさなければならない。要はヒモのような生活です。生活の心配さえなければ芝居の稽古に集中できる。そうやって這い上がっていくものです」

 友井は元関西ジャニーズJr.出身のイケメン。ビジュアルだけでモテる。ジャニーズ脱退後は女に不自由することのない生活。そこに欲が出た。バツイチを経て次々に女を利用するようになっていた。ある女性からは3千万のお金を拝借。その半分近くは馬券に消えていたという。女性と揉めれば暴力を振るう。「飴と鞭を使いこなす典型的なヒモ男だった」という声もある。そんな男でも惚れた女は、「彼は歌手として成功する」と信じて尽くす。ところが売れた途端、女の前から姿を消す。テレビを見れば「紅白」出演と喜ぶ友井の顔。

 女の嫉妬ほど怖いものはない。愛が深かった分、憎悪も増す。「許せない」と本人からでなくとも、周辺からメディアに話は漏れる。まだスーパー銭湯のアイドルだったら、友井と言っても誰も知らない。記事になることもなかっただろう。皮肉にも売れてしまったことで女性の怒りが爆発。そんな構図に見える。「バレるのではないかとドキドキしていた」と友井本人もドキドキしていたというのだから発覚は時間の問題だった。芸名の顔と本名の顔は違うもの。裏の顔でも都合の悪い話は仲間内にも隠したがる。そんなケースはざらにあった。年齢に学歴詐称、整形、離婚歴など、キリがない。芸能プロ幹部が話す。

「興信所を使って調べるわけにもいかない。本人が出した経歴と話を信じるしかない。昔、ホステス経験に愛人経験のあるグラドルが事務所の社長にすべてを話した。社長は自ら店に行き写真などネタになる証拠を消すために話し合いの場を持ち、お金も含めて事前に口止めした。そんなことも事務所の仕事でした」

 友井もすべてを事務所の人や仲間に相談しておけば、打つ手はいくらでもあった。

 脱退どころか、芸能界からの引退の決意も騒動の余波を考えれば、当然の結論だった。

 友井には分別も節操もなかった。

(敬称略)

二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。

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