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伊藤文學の薔薇族回顧譚【4】

【薔薇族回顧譚】ポルノ雑誌と呼ばれても、泥に咲くはすの花のように

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――日本初のゲイ雑誌「薔薇族」創刊編集長が見た、ゲイメディアの勃興とその足跡をたどる

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『くそみそテクニック』といったマンガ家・山川純一氏の作品も「薔薇族」に掲載されていた。山川氏も持ち込み出身の作家だ。

 前回紹介した通り、1971年に生まれた雑誌「薔薇族」(第二書房)は、当時の男性同性愛者にとって、貴重な“出会いの場”だった。

 しかしながら「薔薇族」の価値は、文通欄にのみあったわけではない。毎月雑誌を彩る多種多様な作品……例えば美麗な表紙絵、小説、エッセイ、挿絵、マンガなども、読者にとってはほかで得られない娯楽だったといえる。

 大きな特徴は、これらの作品の多くが“アマチュア”の手によって創られていたということだ。

「『薔薇族』に載っていた小説やイラストは、ほとんどが読者からの投稿。全国から送られてくるから、それを手分けして見て、良いと思うものを掲載していたんだ」(伊藤氏)

 読者からの投稿を掲載するだけだから、作者に支払うギャランティというものはほぼ発生しない。月刊誌を作っていく上では、かなりコスト削減のできる仕組みだ。

 一方で、この件については批判の声も多くあったことが、ライター・宇田川しい氏による「ハフポスト日本版」のインタビュー「『薔薇族』日本初の商業ゲイ雑誌の功罪」などで紹介されている。しかし伊藤の話を聞く限り、原稿料を支払おうにも作者の個人情報が一切わからないなど、やむを得ない部分もあったようだ。

「作品を送ってくる人たちは、自分がゲイだとバレたら困るからって、住所や本名は記載してこなかった。例えば熱心にSMの体験記や小説を送ってくれていた笹岡作治という人がいたんだけど、この人はペンネームすら書いてこなかったから、僕が名前を考えたんだよ」

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