――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
金と色と権力欲の大衆史。文芸と雑誌が不可分だった時代の記録。中瀬編集長時代の「新潮45」は、まるごと黒い報告書だった。
「新潮45」が休刊した。ヘイト系記事で一発休刊の先行事例だった文藝春秋の「マルコポーロ」は、世界有数の圧力団体である「ナチ・ハンター」サイモン・ウィーゼンタール・センターに見つかって雪隠詰めだったが、それと比べても今回の騒動は、休刊寸前の雑誌が一発逆転を狙った賭場のイカサマで刃傷沙汰になったような内向きの馬鹿馬鹿しさを感じる。問題の特集も右派オピニオン路線の競合誌「月刊Hanada」「WiLL」の後追いに過ぎず、論旨以前の出来の悪さに閉口していた。
もっとも、新潮社のイメージと言えば、伝説の編集者・齋藤十一の「どのように聖人ぶっていても、一枚めくれば金、女。それが人間」「君たち、人殺しの顔を見たくはないのか」という俗物主義であり、下衆と教養が混淆した『東京情報』や『黒い報告書』を筆者は愛していた。なので、本件の批判者にも「この会社に何を期待しているんだ?」と思うのだが、齋藤の没後、ポップな「yonda?」のキャッチフレーズで女性向けライト文芸(新潮文庫nex)にまで進出し、俗物主義の払拭に努めてきた文芸系部署にしてみれば、たまったものではなかろう。
考えてみれば、往年の「週刊新潮」を支えていた作家陣……山崎豊子、渡辺淳一、山本夏彦、山口瞳……全員亡くなってしまった。結果、俗物主義の雑誌系部署と文芸系部署の間に溝が生まれ、雑誌系は総じて弱体化している。新潮社のアイデンティティだった反創価学会キャンペーンも近年は軽いジャブ程度で、自称・脳科学者の文化人タレントで創価学園出身の「学会エリート」中野信子が「小説新潮」で連載を持っている有様だ。