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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【41】

マンガ誌におけるグラビアの歴史――幽霊、グラビアの美少女よもやま話。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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筆者はマンガ誌のコンテンツとしての興味しかないので、本当の好事家な関係者の意見はこちらを参照するのがよいかと。

 今回の特集は「グラビア」とのことだが、最近のB級グラドルは、AbemaTVやCSのホビー専門チャンネルへの出演をきっかけにパチンコ雑誌のライターや麻雀プロへ転身するケースが多い、という話を聞いた。パチンコ屋や雀荘の営業仕事が確保できるから、単なるグラドルよりは食えるのだろうが。

 それはさておき、筆者はマンガの国の住人なので、グラビア=マンガ誌のグラビアだ。神保町の古書店街を歩いていると、「週刊プレイボーイ」「GORO」「平凡パンチ」など、70年代後半の総合男性誌をよく見かける。これらの古書価値はアイドルの水着グラビアが大きいのだが、同時期、少年マンガ誌の読者年齢も上がり、彼らの受け皿を作る必要も生じていた。そして、集英社「週刊ヤングジャンプ」、講談社「週刊ヤングマガジン」、小学館「ビッグコミックスピリッツ」などのヤング誌が立て続けに創刊した。当時の週プレには『俺の空』、GOROには『実験人形ダミー・オスカー』という人気マンガがあったので、ヤング誌にはグラビアが導入された。一方、少年マンガ誌でグラビアに積極的だったのは週刊少年マガジンだった。これは82年から野村誠一と組んで「ミスマガジン」をやっていたことが大きい。最大のヒット作は斉藤由貴で、清水ヶ丘高等学校の漫研出身だった彼女は、「オタサーの姫」の外見レベルを大きく向上させた。尾崎豊の死期を早めた魔性の女っぷりも半端なかったが。

 マンガ誌のグラビアは、一般的なグラドルの歴史とは少し異なるらしい。水着グラビアだけではなかったからだ。なので、イエローキャブ系の巨乳グラドルも多用されていたが、主流ではなかった。週刊少年サンデーは雛形あきこのセミドキュメンタリーマンガ『ヒナに胸キュン!』を連載したが、読者の多くは失笑していた。巨乳グラビアアイドルの白痴美と熟練の虚構性は「週刊SPA!」の「グラビアン魂」など、おっさん向け一般週刊誌でこそ輝くものだからだ。対して、マンガ誌のグラビアに求められるのは、初々しい日常性と神秘性だ。早い話が童貞少年の妄想なのだが、テレビのバラドルとして生きるしかなかったアイドル冬の時代へのカウンター意識も強く表れていた。

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