1980年にデビュー。「横須賀Baby」「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」といったヒット曲や、バリっとキマったリーゼント、グラサン、革ジャンといった過剰なまでのツッパリルックで、音楽シーンのみならず、社会に大きなインパクトを残したロックバンド「横浜銀蝿」。当初の活動期間が3年あまりだったこともあり、その存在は伝説と化し、以降、さまざまなアーティストに影響を与えた。その銀蝿が、周囲からの待望の声とメンバー自身の熱き想いに突き動かされて再結成したのが1998年。その後、音楽の流行や時代の変化に動じることなく、独自のスタイルを貫き通し、今年「復活20周年」を、そしてグループを牽引してきたボーカル&ギターの翔は還暦を迎えた。そんな銀蝿と翔を長年にわたり応援し続けているのが、高須基仁。自称「日本一の翔マニア」高須が、みんなに知ってもらいたいというのが、まもなく行われる復活20周年コンサートだ。「サイゾー読者のような反骨心がある奴らこそ、銀蝿に感化されるはず」と語る高須が、翔を直撃した。
高須がホストを務めるトークイベントにも、翔がゲストで登壇するほど仲がいい2人。
高須 あっという間の「復活20周年」ですね。
翔 そうです。1983年に解散し、1998年に復活してから20年です。
高須 9月23日に横浜市の戸塚公会堂でライブをするんですね。今からワクワクが止まりませんよ。
翔 俺たちは戸塚出身で、かつて戸塚公会堂で行われていた「ロックイン」というロックンロールの殿堂の大会に出ていたんですよ。地元で結構人気で、デビュー直前の1979年にもシークレットライブをやっています。それで地元に恩返ししたいと思って、5年前に「戸塚音楽祭」を立ち上げた。今年は、俺ら復活20周年、公会堂40周年、俺は還暦60歳。面白いから、60曲コンサートをやろうと。
高須 60曲歌うって地声が強いからできるんだよね。体力的にもきつい。
翔 高校時代から、喉は鍛えてきましたからね。血が出るくらい歌い込んできた。ただ銀蝿は曲が短いんです。3分以内で終わる。それでも60曲やると、3時間以上はかかります。しゃべりも含めたら5時間くらいになる。だから開演が午後2時からと早い。その1時間半前からロビーを開放して、ギターを飾ったり、グッズを販売したり、地元のマカロンを売っているスイーツ屋さんとコラボした特製マカロンやパン屋さんとコラボした特製サンドイッチ販売とかもする。とにかく、ファンに喜んでもらいたいし、楽しんでもらいたい。演奏曲も、ファンのネット投票で決めました。
高須 投票の1位は?
翔 ダントツで「横須賀Baby」。デビュー曲ですからね。
高須 嵐(横浜銀蝿のドラム/翔の実兄)に会うと「横須賀Baby」について30分くらいしゃべるよね。銀蝿のコンサートは、なんというか全学連以来のひとつの集団パワーがある。翔の声が心地よくって、血湧き肉躍る感覚。ライブ会場の片隅でツイスト踊っているやつもいるし。2016年に、私が豊洲Pitで地下アイドルイベントを主催したときに、銀蝿にも出演してもらったんだけど、「仮面女子」の月野もあが銀蝿のベスト盤を持っているくらい好きで、「高須さん、今後はコラボできないでしょうか」と言ってきたよ。
翔 あの対バンは楽しかったです。高須さんは面白いことを考える天才ですね。最初はなんでアイドルと一緒にステージに上がってるんだろうと思ったけど、なんか通じるものは感じましたね。「仮面女子」も四文字熟語だし、曲はロックだし(笑)。
高須 私はね、仮面女子は内心「なぜAKB48が売れているの?」と腹を立てていると思うんだよ。ああいうちゃんと踊って届けたいメッセージがある子たちは、AKBだなんだとは一線を画しているし、今でもツッパっている翔に惹かれるはずだと。だから次は、銀蝿が歌い、その前で仮面女子たちが踊り狂うようなステージをやってみたい。
翔 いいですね。実は銀蝿はロックンロールではあるけれど、デビュー時の所属事務所は、すごくアイドルビジネス的なことをやっていたんですよね。「銀蝿一家」っていうのを作って、弟分の嶋大輔や紅麗威甦(グリース/杉本哲太などがメンバー)や妹分の岩井小百合たちをデビューさせて、横展開させていくという。その後すぐに、そのやり方を発展させて、派生ユニットを作って売り出す、おニャン子クラブとかが出てきましたからね。
高須 ハロー!プロジェクトやAKBグループもそう。だからこそ、それらに先駆けた銀蝿は衝撃的だった。そんな翔が還暦になって何をやるのか楽しみだ。
翔 今年を節目に、これから銀蝿はどういう方向に行こうか、みんなで話し合ったんです。大人としてしゃれた音楽をやる方向にいくのか、80年にデビューしたときの勢いのままロックンロールをやるのか。俺は不良のままロックンロールで突き進みたい。自分たちのできることを真髄まで極めて継続していきたい。その一方で、仮面女子とのコラボみたいな、面白い企画を受け入れられる強さも必要だと思った。今後はフェスに参加するという方向性もある。銀蝿を見たことがない世代に「何、このおじさんたち?」と思われるように仕掛けていってもいいんじゃないかと思っています。
高須 “銀蝿”は忌み嫌われるものだけど、“横浜”はハマトラでカッコいいインターナショナルのイメージ。そのパラドックスが面白い。東京オリンピック前に世の中、何もかもきれいにしようとしているけど、2020年を前に、名前変えないよね?「横浜とんぼ」にしないでしょ?
翔 しませんよ(笑)。そもそも俺たちの正式名称は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」なんです。デビューのとき、「2年間で解散しよう、それまでにシングル1位、LP1位を取って、日本武道館を満タンにしよう」と決めていた。それで、すぐに1位を取るにはどうしたらいいかと考え、目立つように長い名前をつけたんです。20年前の復活のときに「RETURNS」をつけてさらに長くして、ギネスに申請しようと調べたらもっと長い名前があった。ただ、「横浜銀蝿」をローマ字にすると世界1位になるらしいので、この機会に申請し直してみようかな(笑)。
高須 しかし、この翔の甘い声。話しているだけでもブルースを聴いているみたいでたまらない。そのうえ、ライブで歌声を聞くと酔えるんだよ。ギターパフォーマンスも圧倒的。銀蝿を知らない若い人こそ、まずはYouTubeでもいいから銀蝿を知ってほしい。それに、若いアーティストは絶対ライブを見るべきだよ。ところで、翔は今、独身?
翔 独身です。一回結婚してバツイチ。
高須 嵐の具合はいかがですか? 2004年に脳梗塞で倒れてしまって……。
翔 リハビリをがんばって自力で歩いてステージに上がるところまではいったけれど、まだドラムは叩けない。それでも、銀蝿を一番に考えてくれて、ライブも必ずいつも一緒に来て黙って見守ってくれて、くじけることがない。最近もちょっと調子を崩して入院していたんですけど、ライブ2日前に退院して「俺、ドラムは叩けなくても歌うから」と。止めても、「『歌わなくていい』と言われたら、もう二度とステージに立てなくなってしまう」と言う。この精神が、銀蝿のパワーの源になっているんです。
高須 嵐の翔に対する思いは、ファンがよくわかってると思う。
翔 嵐さんはそういう人だけど、いいかげんなところもあってバランスがいい。都合が悪いと「翔がやってくれ」と言う。ものごとを深刻にとらえない。メンバーとしてリーダーとして兄として、その存在は愉快でもありますね。
高須 ベースのTAKUも素晴らしいバランスだよね。
翔 いろんなミュージシャンを見てますけど、ロックンロールを弾かせたら、TAKUが確実に日本一。難しいフレーズ弾きながらコーラスを平気で当てる。あまりにもすごい技を軽くやってるから、一見難しそうに見えないけど、コピーするとTAKUのすごさがわかる。ロックンロールをやってるやつは、TAKUをコピーしたら絶対伸びますよ。
高須 銀蝿の曲は、若いアーティストにカバーされたり、バラエティ番組内でBGMとして使われたり、80年代不良文化の代名詞的な扱いだったけど、ここ10年くらいは変わってきた。2011年の十六茶(アサヒ飲料)のCMで、ガッキー(新垣結衣)が「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の替え歌を歌いましたよね。ナショナル企業が、自社商品のイメージ向上のために銀蝿の曲を使う。あれが世間の銀蝿リスペクトということだと思います。
翔 トヨタのシエンタのCM(2008年)でも1stアルバム『ぶっちぎり』に収録されている「尻取りRock'n Roll」が起用されました。
高須 銀蝿で血湧き肉躍った世代でエリートになったやつがCM曲の決定権を持って、リスペクトの気持ちを込めて起用したんでしょうね。ただ、そういうやつらも、もう定年。だからこそ、この1~2年で銀蝿に決着をつけてほしい。今の世の中には銀蝿が必要だと、私は思うね!
(写真/名和真紀子)
〈ライブ情報〉
横浜銀蝿 復活20周年 戸塚公会堂 開館40周年 翔 誕生60周年 還暦60歳 60曲コンサート「It's Only Rock'n Roll 戸塚集会」
9月23日(日) 戸塚公会堂/ロビー開放12時30分、開場13時、開演14時
問い合わせ:044-812-1352(銀友会)平日12:00 ~ 18:00
〈http://ginbae.info/〉(公式サイト)
翔(横浜銀蝿 Vo.Gt.)
1980年、「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」のメインボーカルとしてデビュー。83年12月、横浜銀蝿の活動を終了。85年からソロミュージシャン、タレントとして活動を開始。98年、翔、TAKU、嵐で「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL RETURNS」として再始動。現在は並行して「翔&BLACK BIRD」「Blue Moon Boys」といったバンドで、新たなサウンド制作やライブ活動を行っている。