――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
一時は“ポスト宮崎駿”と一部で囁かれたこともあるアニメーション監督、細田守の最新作『未来のミライ』が公開中だ。前作『バケモノの子』(15)がスタジオジブリ作品に比肩する商業的成功(興収58・5億円)を収めたこともあり、今作も公開前から大きな期待がかかっていた。
ところが、ネット上で『未来のミライ』鑑賞者(評論家や業界関係者を除いた“一般”客)の評判をざっと拾ってみると、細田作品としてはかつてないほどに賛否が割れている。……というか、圧倒的に“否”が多い。「他人の家のアルバムを時間をかけて見せられる拷問」といったハラスメント被害報告や、「え、もう終わり?という印象」といった違和感の表明は捨て置けない。「金返せ」系のDQN感想がいつもの細田作品にも増してぐっと多いのも気になる。今回は、このような不評の理由をオトメゴコロ的観点から考察したい。
『未来のミライ』の内容は拍子抜けするほどシンプルだ。4歳の男の子・くんちゃんが、未来からやってきた妹のミライちゃんとドタバタしたり、お母さんの少女時代に迷い込んだり、過去で存命のひいじいじに会ったり、異空間に迷い込んだりするエピソードが、あまり相関しない形で並べられている。まるで全5話のTVアニメといった趣きだ。いきおい、細田作品の中でも根強い人気を誇る『サマーウォーズ』(09)や『バケモノの子』のようなアドベンチャー大作を期待した観客は、完全に裏切られる。
『サマーウォーズ』以降の細田作品が、細田自身の近親者をモデルにした「家族」をモチーフにしていることはよく知られているが、今回はかなり直接的。細田自身がインタビューなどでも公言している通り、本作は完全に細田家をモデルにした「子育てあるある」「子息の観察日記」なのだ。妹ができたことで両親からの愛情が減ったと感じたくんちゃんがダダをこねるのも、イクメン気取りのお父さんにお母さんが苦言を呈するのも、100%細田家の体験談である。
細田は自らの子育て体験や家庭づくりの過程で生じた発見や感動を、実に誠実な態度で作品に込めた。しかし、子育て体験や家庭のない人間にとっては、共働き夫婦の育児あるあるや、ワガママ4歳児の言動を延々と見せられても、それだけではエンタテインメントたり得ない。
『未来のミライ』の滋味の多くは、子供を育てた、あるいは子供を持った人にしか味わえない性質のものだ。そのため、細田が実体験をもとにどれだけ誠実さ・正直さをもって「共働き夫婦の育児あるある(の素晴らしさ)」や「4歳の男の子がわがまま(の素晴らしさ)」を力説しようと、そこに相応の工夫がない限り、非体験者には絶望的に伝わらない。