――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
『ゲノム編集からはじまる新世界 超先端バイオ技術がヒトとビジネスを変える』(朝日新聞出版)
[今月のゲスト]
小林雅一[KDDI総合研究所リサーチフェロー]
クリスパーと呼ばれる新しいゲノム編集技術の登場で、あらゆる生物の遺伝子を意のままに書き換えることが可能になってきた。70年代に登場した遺伝子組み換え技術とは異なり、低コストで短時間のうちに遺伝子の改変ができるようになった今、我々には「何ができるか」と「何はやっていいか」を明確に識別していく知恵が求められている――。
神保 今回のテーマは、遺伝子操作に革命をもたらした「クリスパー(CRISPR)」というゲノム編集技術についてです。2~3年前から話題になっているので、聞いたことがあるかもしれませんが、何のことなのか非常にわかりにくい。しかし、人類史上、とても重要な意味を持つ技術になる可能性が高く、しっかり取り上げておいたほうがいいと考えました。ゲストはゲノム編集技術に詳しいKDDI総合研究所リサーチフェローの小林雅一さんです。今回のテーマを設定したきっかけのひとつが、最近公開された『ランペイジ 巨獣大乱闘』という映画でした。タイトル通り、巨大な怪獣が大暴れする作品ですが、意外にもこれがクリスパーと関係があるそうですね。
小林 そうですね。クリスパーが誤って動物の体内に注入されてしまい、その結果、巨大化して怪獣みたいになってしまう、という映画です。
神保 小林さん自身、著書ではクリスパーのメリットと同時に、リスクについても書かれていますが、この映画には、その危険性に警鐘を鳴らすような要素も込められているのでしょうか?
小林 基本的には娯楽映画ですが、警鐘を鳴らしている部分も恐らくあると思います。この映画のようにゴリラがキングコングみたいに巨大化してしまうことはないと思いますが、ある程度、体が大きくなるということであれば十分に考えられるし、筋力や運動能力が向上することも、当然あり得ます。
神保 小林さんは『ゲノム編集からはじまる新世界』(朝日新聞出版)という本の中で、そもそもクリスパーという最新のゲノム編集技術の本家本元は、日本人だったことを紹介されています。それを応用して、米カリフォルニア大バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授と、フランスのエマニュエル・シャルパンティエ博士が科学的な原理を解明して現在に至ると。今回は、そのダウドナ教授の著作『CRI SPR』も参考にしました。さて、クリスパーとは「Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeats」の頭文字を取ったもので、直訳すると「クラスター化され、規則的に間隔が空いた短い回文構造の繰り返し」という、やや意味不明な日本語になります。これをゲノムに明るくない文系の人に説明するとしたら、どう説明しますか?
小林 まず、人間の全遺伝情報――つまりゲノムと呼ばれるものは、DNA上に存在するG、A、C、Tという4種類の文字(実際は化学物質)が順番を変えながら、32億個並んだものです。
宮台 グアニン(G)、アデニン(A)、シトシン(C)、チミン(T)ですね。
小林 はい。これは私たち人間だけでなく、細菌や動植物なども含めて、地球上に生きるすべての生物に共通しています。そして、もともとクリスパーというのは、細菌のDNA上で発見された、非常に奇妙な並びをした文字列のことです。
神保 ある文字列のパターンが繰り返されていることを、最初に発見したのが日本人だったのですね。
小林 1986年、石野良純さん(現九州大学大学院農学研究院教授)を中心とする大阪大学微生物病研究所の研究チームが初めて発見しました。当時はその意味がわからず、ただ妙な並びだということで、それを論文として、87年に発表したのです。その後、2012年頃に先程のダウドナ、シャルパンティエの両博士らが、この妙な並び(クリスパー)が生物の遺伝子操作に応用できることを発見し、その科学的な原理を解明しました。この新たな遺伝子操作技術が、今、ゲノム編集「CRISPR-Cas9」、通称「クリスパー」と呼ばれている技術です。
ここからが少しややこしいのですが、その基本特許を取得したのは、実は、この2人とは別人なのです。14年に、(MITとハーバード大学が共同出資している)ブロード研究所に所属する中国系米国人のフェン・ジャン博士が「CRISPR-Cas9」の基本特許を取り、激しい特許紛争が起きています。
神保 特許紛争の話はさておき、「CRISPR-Cas9」という技術を使うと、非常に低コストで、効率的に遺伝子操作ができるということですが、これが従来の遺伝子組み換え技術や、その後に登場したさまざまなゲノム編集技術と、決定的に違うと。
小林 そうです。従来の遺伝子操作技術、つまり70年代に開発された「遺伝子組み換え」と呼ばれる技術は、ある遺伝子を改変したいと思っても、〝狙い撃ち〟ができませんでした。だから、とりあえず試してみる。そうすると偶然、例えば100万回やれば1回くらいは、狙ったところが組み換わると。
神保 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、だった。
小林 そうですね。しかし、ゲノム編集は偶然に頼るのではなく、狙い撃ちで人為的に、選択したところを書き換えることができる。例えばマウスの受精卵などであれば、10回に9回くらいの確率まで上がっているんです。これは質的に違う技術と見ていい。
神保 ほぼ確実に、狙い通りにできるのですね。
小林 それが最大の違いです。結果として何が起きるかというと、遺伝子改変に要する時間が大幅に短縮されます。例えば、従来であればマウスの遺伝子組み換えをする場合だったら、1年か2年、短くても半年はかかっていたのが、この技術を使えば3週間でできる。3週間というのは、受精卵からネズミの赤ちゃんが生まれるまでの期間で、これ以上、短縮のしようがない時間です。結果として、開発コストも概ね従来の300分の1くらいまで抑えられる。つまり、昔であれば大学の研究室などで数百万円かけて、遺伝子組み換えの実験や開発をしていたところが、ゲノム編集(クリスパー)なら数万円で生物の遺伝子を改変できるのです。
なおかつ、とても操作が簡単な技術です。かつての遺伝子組み換えは、いわゆる「ポスドク(博士研究員)」つまり本物の科学者が、師匠である大学教授の下で2年も3年もトレーニングを積んでようやく扱えるようになる難しい技術でした。これに対しクリスパーは、普通の高校生が2~3週間トレーニングすれば使えるようになると言われています。そこがある意味、怖い面でもあるのですが。