――今年4月、「性別適合手術」が公的医療保険適用の対象となったことが、関連メディアを中心に大きく取り上げられた。LGBTブームの昨今、「トランスジェンダー」という言葉も広く知られるようになったが、そこで行われている性器形成手術はどのように進化してきたのか? 医師や当事者に話を聞き、その基礎知識を学んでいこう。
『職場のLGBT読本:「ありのままの自分」で働ける環境を目指して』(実務教育出版)
LGBTでいうところの「T」、トランスジェンダー(既存の性規範にとらわれない傾向を持つ人)を取り巻く環境は今も変化し続けている。例えば今年7月、お茶の水女子大学が、2020年度からMtF(戸籍上男性でも性自認が女性)トランスジェンダーの学生を受け入れる方針を発表した。
しかし、性的少数者をめぐる概念が知られていく一方、まだ多くの人から見て「謎」な部分も残されている。例えば、トランスジェンダーの一部が望む「性別適合手術(以下、SRS)」。「そこにないペニスを、一体どこから作り出すの?」「性行為は可能?」……そんな疑問が次々浮かぶ人も多いだろう。
本稿では、これまでに多数のSRSを執刀してきた医師、そして実際にSRSを受けた経験を持つトランスジェンダー当事者の言葉から、「性器形成」の今を見ていきたい。
なお性器形成手術を必要とするのは、いわゆる性同一性障害(以下、GID)当事者だけではない。事故や病気によって欠損した性器を再建させたい人々、美容整形的な意図で性器に何らかの手術を望む人々にとっても切実なテーマだ。また、「トランスジェンダー=手術を望むGID当事者」ではないことにも留意しておく必要がある。しかしながら本稿ではいったん、「GID当事者を含むトランスジェンダーが、自己意志で受けるSRS」という観点に軸を置いて話を進める。
まずは、SRSの歴史をざっくり振り返ってみよう。史料で明らかな範囲では、世界で初めて「性転換手術」を受けたのは、デンマークの画家リリー・エルベとされている。元男性のエルベは、1930~31年にかけて、睾丸摘出や陰茎除去に加え、卵巣や子宮の移植手術を受けた。しかし、エルベは子宮移植の3カ月後に死亡。手術の“成功例”とは言い難い。
女性→男性(FtM)の手術としては、46年にロンドンにて、FtMのローレンス・マイケル・ディロンが、世界初の陰茎形成手術を受けている。こうして見ると、性別移行の手術の歴史は少なくとも90年近くに及ぶことがわかるだろう。
その後、52年にアメリカの元軍人クリスティーン・ジョーゲンセンが、男性器の切除と外見の女性化のための手術を受け、世界各国がこれを報じた。この世界的ニュースがSRSの認知度を高め、「性転換ブーム」とも呼べる現象を巻き起こしたとされる。
日本では、元男性の永井明子という人物が、51年に、男性器の切除と造膣の手術を受けたという記録も残っている。ところが日本のSRS事情は、その後の海外の勢いから取り残されてしまう。大きな要因となったのは、64年、男娼3人に性転換手術を行った医師が「優生保護法違反」の名目で摘発された、通称“ブルーボーイ事件”だ。これを受けて、日本医療界のSRSに対する態度は一気に消極化。98年に埼玉医科大学総合医療センターで初めて公式の性別適合手術が行われ、2003年に「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律(特例法)」が制定される頃まで、日本のSRS界は「暗黒期」にあった。