法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。
受刑者が脱走逃走!
2018年4月8日、愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者の平尾龍磨容疑者(27)が逃走。潜伏先とみられた広島県尾道市向島では、警察が24時間体制で捜索や検問を続けたものの発見に至らず、4月30日にようやく広島市内で同容疑者を逮捕した。逃走理由について同容疑者は「刑務官からいじめられた」と供述している。
受刑者の行動を制限する高い塀や頑丈な鍵などのない開放的な刑事施設、いわゆる「塀のない刑務所」。そのひとつである愛媛県今治市の松山刑務所大井造船作業場から受刑者が逃走した事件は、連日メディアによって大々的に報じられ、近隣住民の不安を煽りました。同時に、それまで一般にあまり知られていなかった開放的施設という存在に対し、国民の批判が集中。上川陽子法務大臣は記者会見で陳謝した上で、今後、開放的施設における保安警備や処遇のあり方を検討し、再発防止に努める考えを示しました。つまり、国と国民は今回の逃走劇を“失態”とみなしたわけです。
しかし、逃走者が身柄を拘束された際の動画をニュース等で読者の多くがご覧になったと思いますが、あれを見て私は、“失態”どころか、むしろそれとは正反対の思いを強くしたものです。すなわち受刑者の開放的処遇という刑事政策は、やはり理念として正しく、また実際にうまく運用されている、と。もちろん、今回の件で現実に不自由な生活を強いられたり窃盗などの被害にあったりした人がいる以上、逃走者が出たことに問題がないとはいいません。ただし、「受刑者を社会から隔離しないのは危険ではないか」といった、開放的処遇そのものに対する批判は的外れだといわざるを得ない。なぜなら開放的処遇は、受刑者の逃走というリスクを補って余りあるメリットを有し、世界中できわめて有効に機能しているからです。海外との比較などを交えつつ、開放的処遇の実情などについて考えてみましょう。
まず、開放的処遇とは法的にどう位置づけられているか。刑事施設の管理運営や被収容者の処遇などについて定めた刑事収容施設法は、第30条で「受刑者の処遇は、その者の資質及び環境に応じ、その自覚に訴え、改善更生の意欲の喚起及び社会生活に適応する能力の育成を図ることを旨として行うものとする」と規定しています。その上で、第88条2項では、「第30条の目的を達成する見込みが特に高いと認められる受刑者の処遇は、(中略)開放的施設【収容を確保するため通常必要とされる設備又は措置の一部を設けず、又は講じない刑事施設(中略)】で行うことができる」としています。要するに、わが国における受刑者の処遇は、少なくとも理念としては自覚的な社会適応を促すことを第一義的な目標とし、その達成のために受刑者によっては社会から完全に隔離しなくてもよい、としているわけです。