学術人類館・アイヌほか(1903年/著者蔵)
1903年、大阪・天王寺で開催された第5回内国勧業博覧会の場外余興として「人間の展示」が行われた。この「学術人類館」を企画した発起人は、西田正俊という実業家で、彼と展示対象となった人々とが一緒に写ったとされる写真が残されている。この集合写真は、人類館の出演者を写した唯一のものとしてよく知られる一枚で、計19人が3列に並んだ記念写真のような体裁がとられている。
長年探し求めて、ようやくこの写真を入手することができたのだが、裏側を見てみると、次のような文字が印刷されていた。写真の並び順に従って最上段右から「セイバン人四人ニホン人貳人」、2段目は「チヨウセン人貳人シナ人一人アイヌ人三人リウキウ付人」、3段目は「チヨウセン人一人アイヌ人三人リウキウ人貳人」とある。
清国留学生からの抗議により外交問題に発展しそうになったため、3月10日の人類館開館以前に展示から外されたはずの「シナ人」(清国人)が写っていることに加えて、「大阪朝日新聞」の3月8日付の記事に「昨七日までに生蕃、熟蕃、琉球、朝鮮、アイヌの五族到着しなほ爪哇、印度其他は未着」と清国人なしの記載があることから、人類館が開館する前の時点で集まっていた出演者と企画者側とが一緒に写った記念写真だと考えていいだろう(ちなみに、熟蕃とは平野部に住み漢族風の生活様式を取り入れていた人々のことで、生蕃とは山地などに住み漢化しなかった先住民のことを指す)。