──年齢不詳、職業不明、痛風持ち……老獪タカスが、自らの五臓六腑をすする気合で過激に告白&提言
ある日のこと。荒木と飲みにいくと、女性スタッフにベタベタ(当時の写真)。私に対して嫉妬心があったのか、私を女衒として扱い、仕事やオフで、女性をあてがうことを求めることもあった。
荒木経惟が、かつてモデルを務めていた女性から不本意な関係を強いられたとインターネットで告発されている。
荒木のことをみんな「天才アラーキー」と呼ぶが、「天才」もアナーキーをもじった「アラーキー」も自称である。彼は僕に言った。「1000日間、自分で天才と言い続ければ本当になる」。それを真似したのがテリー伊藤。当初は「天災・伊藤輝夫」と名乗り、いつしか「天才・テリー伊藤」に変わった。
荒木は三ノ輪の下駄職人、テリーは築地の卵焼き職人、2人とも下町の小商いの息子である。荒木は「私の好きなものは3つある。三越、NHK、朝日新聞」と言った。三越という権威、NHKという権力、朝日新聞という幻想をこよなく愛した。その結果、国立千葉大学に進学し、電通に就職。ベースには小商いの息子のコンプレックスがあることは間違いない。
自分の写真を私小説と写真をくっつけた「私写真」と名付けたが、私に言わせれば、真っ赤な嘘をあたかも実のごとく見せて世間を煙に巻いているだけ。すなわち荒木は自称と権威主義と虚実ないまぜの存在だ。
私が荒木を知ったのは、全学連で丸太を持って防衛庁に突っ込み、逮捕・勾留から出てきた1969年末。当時、銀座松屋の近所にあった小さなラーメン屋によく通っていたのだが、そこの壁に妙に生々しい女性の写真が貼ってあった。撮影したのは荒木経惟という電通のカメラマンだという。
それから20数年後、私は荒木と何度も仕事をすることになる。