――エロティックな女性ヌードなどで知られ、世界的な評価も高い写真家・荒木経惟。長年、彼のモデルを務めてきたKaoRiさんによる告発が、「#MeToo」のひとつとして世間をざわつかせた。ただ、この騒動をめぐる議論は錯綜している。そこで、本当に語るべき論点を整理し、問題の本質に迫りたい。
小原真史(映像作家・キュレーター)
こはら・まさし 本誌で「写真時評」を連載。監督作品に『カメラになった男―写真家中平卓馬』。著書に『富士幻景―近代日本と富士の病』がある。IZU PHOTO MUSEUM研究員として荒木経惟展、宮崎学展、小島一郎展、増山たづ子展などを担当した。
新婚旅行での妻・陽子さんとの愛の記録と、妻の死の軌跡を追った写真日記からなる『センチメンタルな旅・冬の旅』(新潮社/1991年)。
今回の騒動について、後出しジャンケン的に荒木批判を展開するのも、被害者としてのKaoRiさんを擁護するのも、どちらも違和感が拭えず、今の段階で積極的に発言したいことは、特にないというのが正直なところです。
この件と同根だと思いますが、日本の出版業界にかんして言えば、仕事を受ける際に最初に原稿料を提示してくれる編集者はあまりいません。日本的な共同体の中では、そうした金銭のことは言わない、聞かないというのが美徳のようになってしまっており、大抵は自分の仕事の値段を後から知ることになります。KaoRiさんが荒木さんの最初の撮影の際に、ヘアメイク担当者に言われたように契約書を交わさないのは、「日本ではそれが普通」なのです。こうした日本的共同体の中でなんとなく始まった、撮る/撮られるという関係において、KaoRiさんのほうからモデル料を提示しなかったり、契約書が作られなかったりしたのは、ごく“自然”な流れだったのかもしれません。しかしその流れに抗するのは、時間が経てば経つほど難しくなってしまうでしょう。その意味で、KaoRiさんの抗議は、荒木さん本人だけではなく、日本的な忖度共同体に向けられてもいるでしょう。