――カメラマン・デザイナー、そして親日家としても知られるアッシュ・ハドソン。そんな彼が自らが体験した日本の“アングラ文化”を詳細にレポート。
1980年代中期、グラフィティを描いていた高校生の俺は、母親がデザイナーだったことも影響して、そのグラフィティを落とし込んだTシャツを作ることにした。そこからアパレルブランド〈Conart(コナート)〉をスタートさせた。以前も語ったが、アメリカでの業績も右肩上がりだったから、90年代には日本での流通も決まり、たくさんのヒップホップ・アーティストとビジネスで絡むようになった。ダウンタウンLAにアートスタジオを兼ねた1500平米の事務所を構え、すべての壁をグラフィティで埋め尽くしたスタジオには、ロサンゼルスはもちろん、ニューヨークのラッパーたちも遊びに来た。
その頃から一眼レフで写真を撮り始めて、90年代を代表する伝説的なラッパーたちにコナートのウェアを着てもらい、スタジオでたくさんのフォトシューティングを行った。中でも印象的だったのが、亡くなってしまったザ・ノトーリアス・B.I.G.、ギャングスターのグールー、ウータン・クランのオール・ダーティ・バスタードの3人。ビギーは97年3月9日、ロスで銃弾に倒れてしまったんだが、実はその日の早い時間、彼はスタジオに来ていた。コナートの新しい服をピックアップして、夜に自分が行くパーティへ俺を招待してくれて事務所を出た。そのパーティの帰り、彼は何者かに銃で撃たれてしまった。本当に残念でならない。