法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。
『#MeToo』世界に拡散
2017年10月、ハリウッドの大物プロデューサーによる複数の女優へのセクハラ・性暴力疑惑を「ニューヨーク・タイムズ」などが報じたのを発端として、米女優アリッサ・ミラノの呼びかけで始まった「#MeToo」運動。SNSによる世界的な性暴力告発ムーブメントへと発展する一方で、仏女優カトリーヌ・ドヌーヴらによる運動に対する批判が物議を醸した。
グウィネス・パルトロウやアンジェリーナ・ジョリーら複数のハリウッド女優が、米大物映画プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインによる性的被害をメディアで告白したことに端を発する、ツイッター上の「#MeToo」運動。そこで赤裸々に語られる被害の内容が、性的な言葉を投げかけられたり軽く体を触られたりといったいわゆるセクハラの範疇に留まらず、強姦や強制わいせつなど、より重大な性暴力を多く含むものであったことから、「#MeToo」はアメリカで一気に社会問題化しました。その勢いは世界に波及し、セクハラ・性暴力告発の一大ムーブメントとなっています。
その流れの中で日本でも、例えば人気ブロガーの「はあちゅう」氏が、前職の電通で上司から受けたセクハラについて実名を挙げて証言するなど、運動はある程度の広がりを見せはしました。とはいえネットやメディアでは、「#MeToo」に対する批判や冷めた意見も散見され、ダイヤモンド・オンラインは「『セクハラ告発』運動が日本では海外に比べ広がらない理由」(2018年1月19日付)なる記事で盛り上がりに欠ける現状を分析。メディア全体としても、「やはり日本は性や男女平等の問題に対する意識が低く、アメリカに遅れを取っている」といった論調の報道が目立ちます。しかし、本当にそうなのでしょうか? そもそも、「#MeToo」運動の文脈で語られている“セクハラ”“性暴力”の本質とはなんなのでしょうか? 今回はそのあたりについて考えてみたいと思います。
1970年代初頭に世界を席巻した女性解放運動ウーマン・リブの発祥地であるアメリカ。おそらく同国に対して日本人の多くが、政治・経済・文化に男女平等の理念が浸透し、現実としても性差別や性暴力から女性が守られているという意味で、日本よりはるかに進んだ社会というイメージを抱いているのではないでしょうか。
しかし私は、「#MeToo」における性暴力を論じる際に俎上に載せられがちな男女問題、とりわけ女性差別問題について、アメリカの国民意識や取り組みが日本より進んでいる、などと単純にはいえないと考えている。というのも、この事実をご存じでしょうか? 実はアメリカ合衆国憲法には、男女平等に関する条項が存在しないのです。日本であれば憲法第24条で明記され、先進国なら憲法の基本理念としてあって当たり前の男女平等条項が、です。ましてやアメリカは、まさしくその平等と自由を旗印として西側の盟主となったわけなのに、ですよ?