(写真/永峰拓也)
『エティカ』
スピノザ(工藤喜作、斎藤博/訳)/中公クラシックス/1900円+税
17世紀オランダの哲学者スピノザの主著。書名の「エティカ」は「倫理学」を意味するが、形而上学、認識、感情論まで、ユークリッド幾何学をモデルにして定理の論証を体系的に展開し、後世の哲学に大きな影響を与えた。
『エティカ』より引用
さて、私がここで語ろうとするすべての偏見は次の一事にもとづいている。すなわち、人々は一般に、すべての自然物が、自分たちと同じように目的のためにはたらいていると思っているばかりか、神自身がいっさいをある一定の目的に導くことを確実であると主張していることである。なぜなら彼らは、神がいっさいを人間のために創造し、また神を崇拝させるように人間を創造したと言っているからである。
前回はニーチェの哲学をとりあげました。ニーチェがいかにキリスト教的世界観に対抗し、それとは異なる世界観を構築しようとしたのかを考察しました。
今回はそれに引き続いてスピノザの哲学をとりあげたいと思います。というのも、スピノザもまた当時のキリスト教的世界観にするどく対抗した哲学者だからです。スピノザはキリスト教的世界観をしりぞけながら「世界はどのようになりたっているのか」を徹底的に考察した稀有な哲学者でした。
スピノザは17世紀オランダで活躍した哲学者です。19世紀に活躍したニーチェより2世紀もまえにキリスト教的世界観に対峙したことになります。そのため、スピノザが社会から受けた風当たりの強さも、ニーチェの場合とはくらべものにならないほどでした。事実、スピノザは生前「無神論者」として多くの人から非難され、主著『エティカ』の出版が生きているあいだになされることもかないませんでした。
上の引用文はその『エティカ』の一節です。スピノザがこのなかで「偏見」だと指摘しているのは、ほかならぬキリスト教的世界観です。これを読むと、スピノザがかなりはっきりとキリスト教的世界観を否定していたことがわかるのではないでしょうか。引用文の言葉をつかえば「神がいっさいを人間のために創造し、また神を崇拝させるように人間を創造した」と考えること自体、すでに「偏見」だと述べているわけですから。