──年齢不詳、職業不明、痛風持ち……老獪タカスが、自らの五臓六腑をすする気合で過激に告白&提言
私がプロデュースした、東京ヒルズクリニック院長の杉浦功修氏の著書『俺、失敗しないので』(展望社)の出版パーティが行われた。大雪の日だったが千客万来。大ヒットは間違いないだろう。
1月21日、評論家・西部邁が多摩川で入水自殺し亡くなった。
2001年、当時、民族派団体・日本青年社副会長だった滑川裕二氏が宮司を務める八丈島の八丈神社で毎年5月に行われる例大祭に、突然西部が現れた。西部は1960年安保の全学連の重鎮、私は70年安保の重鎮である。
西部は私を見るなり、「中央大学ブントの高須くんか。きみのことはよく知っているよ」と声をかけてきた。「八丈島はかつて政治犯が島流しに遭ったところ、一度来てみたかった。時代が時代なら、高須くんも自分も八丈島に流されたに違いない」。
西部は、例大祭の神道に基づいた所作をまったく無視して、独自のスタイルで祈祷した。保守本道でありながら革新の人なのだと強烈なシンパシーを覚えた。その後、「高須くん、温泉に行こう」と言うので、2泊3日、計8回、一緒に風呂に入った。
「70年安保の若者は体がまだ動くな、羨ましい」と言う西部は、真っ白で肉体労働と縁がないインテリゲンチャの体だった。私は筋肉質で、いかにも武闘派。これが60年安保の東大、70年中央大学の圧倒的な差だと思った。
帰京後、ある雑誌で「右翼陣営の重鎮が神道の所作ができていない」と書いたら、周りが騒いだ。西部にリーガロイヤルホテルに呼び出され、「高須くん、きみの言っていることはよくわかるが、こういうことを書くと右翼が騒ぐのでやめてくれ」。
その後、会うこともなくなり、八丈島に来ることも二度となかったのだ。