「少女マンガに出てくるイケメンたちってやたら洋服がダサくないですか?」何気ない編集部員の軽口に反論するのは、『マツコの知らない世界』(TBS系)に出演し、マツコ・デラックスを唸らせた少女マンガ偏愛家・小田真琴氏。「あのダサさには意味があるんだ!」と息巻く氏が語る、少女マンガとファッションの歴史とは……。
大学の寮を舞台にした吉野朔実の『月下の一群』(集英社/82年)。夢のようにおしゃれな大学生たちのキャンパスライフが描かれている。
少女マンガのファッションがダサいだなんて考えてみたこともなかった。そして実際にダサいかどうかよりも、「考えてみたことがなかった」こと自体にひどく驚いたのだった。これは一体どういうことなのだろうか。
少女マンガにおけるファッション描写に革命をもたらしたのは1950年代の高橋真琴だといわれている。当時、数多くの雑誌の表紙を飾った彼の絵は、マンガ作品においては「ファッション画」を導入したことで後世の少女マンガ家に大きな影響を与えた。ストーリーとはあまり関係のない大きな人物画が唐突に現れ、物語よりも少女の髪型を、顔立ちを、そして服装を見せる絵のことだ。舞台が海外であったり、題材がバレエであったりと、高橋作品はとにかく洒落ていた。少女マンガが少女文化のカタログ的な役割を果たし始めたのもこの頃のことである。
そのファッション表現のひとつの頂点が一条ゆかりの1974年の作品『デザイナー』(集英社)だ。当時から「MODE et MODE」(モードェモード社)や「high fashion」「装苑」(ともに文化出版局)を参考にしていたという一条はリアリティを追求し、絵空事ではないリアルなモードを少女マンガの世界に落とし込もうとしたのだ。
一方で、いかにもさりげなくおしゃれでかわいい世界を描いたのはくらもちふさこだった。1990年頃のインタビューでは、「オリーブ」(マガジンハウス)を参考にしていると発言していたくらもちは、さらりと自分が持っている服を登場させることもあったという。「マンガで描く服は少し派手なくらいがいい」というサービス精神たっぷりの一条とは対照的に、あくまでも日常的で地に足がついたおしゃれがそこにはあった。
しかし、こうした一部の天才たちはむしろ特異点だったのだ。一条もくらもちも、キャラクターたちのファッションは、その物語世界にぴったりと合致している。一条の激しい物語の中で描かれる自立した女性は、やはり個性的な服を着ているべきだし、都会の少女のかわいさを描くくらもち作品には、やはり洗練されたさりげない(だけど上質な)ファッションが必要だったのだ。