東京都23区――。この言葉を聞いた時、ある人はただの日常を、またある人は一種の羨望を感じるかもしれない。北区赤羽出身者はどうだろう? 稀代のコラムニストが送る、お後がよろしくない(かもしれない)、23区の小噺。
(絵/ジダオ)
早番の勤務シフトを終えた柴崎涼音は、勤務先の病院から横十間川沿いの道を大島一丁目にある自宅マンションに向かって歩いている。
新大橋通りに突き当たるしばらく前から、涼音は、背後の足音に気づいている。距離が近い。自分の脈拍を数えてみる。120ぐらいはありそうだ。
思い切って交差点のコンビニの前で、後ろを振り返った。この場所なら、万が一相手が変な気を起こしても人目があるし、避難先の逃走経路もある。
「あんた」
見上げている白っぽい顔には見覚えがあった。
「太陽だよね?」
先方は大真面目な顔で首を縦に振っている。笑いがこみあげてくる。太陽の顔を見るのは、3年ぶりだ。前に会った時は、確か小学5年生だったはずだ。ということは、この子は今年、中学校にあがったのだろうか?
「大きくなったね、あんた。中学生?」
黙って頷いている。この年頃の子どもは「大きくなった」という大人の決まり文句を嫌う。涼音にも覚えがある。だからこそ彼女は、もう一度同じセリフを繰り返してみる。
「見違えたよ。すっかり大きくなったじゃないの」
太陽は、涼音にとって異母弟に当たる。14年前、涼音が小学4年生だった時に父親が再婚し、その再婚相手である若い母親から生まれた赤ん坊が、今ここに立っている少年だ。それにしても、その歳の離れた異母弟が、どうしてまた看護学校の寮に入寮してからこっち実家に寄りつかない異母姉の勤務する病院を突き止めて、待ち伏せをしたのだろうか。
小名木川沿いのレストランに伴って、ハンバーグを食べさせながら問い質した。
「あんたさ。用があるから会いに来たんだろ? まさかあたしにお金でも借りに来たわけ?」
「……違う」
「じゃあなに?」
「……ママのこと」
「あんたのお母さんがどうしたって?」
涼音は、「あんたのお母さん」という自分の言い方に皮肉を感じて少し笑った。なるほど、私はいまだにあの女を母親とは認めていないわけだ。
それもそのはず、涼音が大学への進学を断念して学生寮のある看護学校に願書を出したのは、折り合いの良くない母親の住む家から逃げ出したい一心からだった。そもそも、赤ん坊が生まれた時、母親は、クールな響きを持つ「涼音」という自分の名前に当てつけるようにして「太陽」という名前を持ち出してきた女だ。好きになれるはずがないではないか。
以来、彼女の思春期は、自分を厄介者として扱う家族から独立して、北海道にある母親の実家で暮らす計画と並行する形でせわしなく過ぎていった。もっとも実母は、彼女が中学校を卒業する年に、札幌の病院で病死している。もともとカラダの弱い人で、涼音の記憶の中でも、寝込んでいることの多い女性だった。もしかしたら、涼音に医療の仕事を選ばせたものの正体は、あの幸薄い母親の儚くも人生への愛惜の念だったのかもしれない。
太陽が持ち出してきたのは、その母親の不倫を疑わせる情報だった。学校とは別に通っている代々木の進学塾の帰りに、塾の仲間たちと渋谷をブラついている時、道玄坂方面から見知らぬ男に肩を抱かれながら歩いてきた母親を目撃したというのだ。