古くは『日本書紀』にも記述が残され、日本の性文化を語る上で避けては通れないセックス事情といえば、「男色」だろう。ここでは「衆道」と呼ばれる武士の男色をひも解きながら、ただの情愛、性欲だけではなく、若き彼らの“将来”を左右する重要な通過儀礼であったその本質を改めて追ってみたい。
勝川春章による浮世絵春画『会本腎強喜』。男女だけでなく犬まで参加してセックスを楽しんでいる。この頃にはすでに、男色は高尚なものではなくなった。
最終回を迎えた今年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』。序盤は低視聴率に苦しんだものの、10月頃になって突如“腐女子”たちの間で火がつき、「大河のタブーを破った!」などと話題を呼んだ。その理由はなんといっても、のちの井伊直政である万千代(菅田将暉)と徳川家康(阿部サダヲ)の「衆道」、つまり武士同士の「男色(なんしょく)」だ。ある日、家康に寝所に呼ばれた万千代は戸惑うが、「新しい褌を持てー!」と気合いを入れ、家康に抱かれる覚悟を決めるシーンなどが描かれた。
『男色を描く』(畑中千晶氏と共著/勉誠出版)などの著書を持ち、江戸時代の男色文学を研究する茨城キリスト教大学教授の染谷智幸氏は、「実際に家康と直政の男色はあった」と解説する。
「戦国時代の話というのは、江戸時代になって書かれたものが多く、加えて内容が不確かなものが多いんです。しかし、直政が美童で、“寵童”、つまり女役をする少年として家康に仕えたことは『甲陽軍艦』『新東鑑』をはじめとした多くの文献に残されており、単なる噂ではなく、事実に近いものと見ていいでしょう。
直政が『徳川四天王』『筆頭の重臣』と呼ばれるまでにのし上がった背景には、彼の武勲はもちろんのこと、家康の寵愛を受けたことが大きなきっかけとなったことは間違いありません。当時、寵童から出世したものは“御物上がり”と呼ばれ、ほかの武士からも羨望と嫉妬の眼差しで見られていたようです」(同)
こうした“戦国BL”は、ほかにも織田信長と森蘭丸、武田信玄と高坂昌信など、伝承だけでいえば枚挙にいとまがない。ところが先述の通り、彼らが御物上がりだったという確証が得られる文献、浮世絵春画などはあまり残されておらず、直政のようにその“事実”が確認できるものは珍しいという。
「戦国時代の武将たちの男色を確認するのは難しいのですが、江戸時代に入ってからは、名だたる武将たちの男色物語が随筆などに残されています。例えば、徳川家光に仕えた堀田正盛や酒井重澄、徳川綱吉に仕えた柳沢吉保や黒田直重らは御物上がりだったと明確に記されているんですよ。中でも綱吉の男色好きは有名で、歌学者として知られた戸田茂睡が残した『御当代記』という書物の中で、綱吉が手当たり次第に美少年を集めていたことが記されています。『桐之間』という綱吉が美少年を集めるために作った部屋について書かれており、柳沢や黒田もそこに集められていたようです」(同)