――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉
欲望の垂れ流しであっても、知的であれば、自然と強烈な個性が湧き出してくる。そういうエロ本作りは面白いのだ。
日馬富士の暴行問題は結局、引責引退となったが、相撲も政治も若い改革派と呼ばれるのは排外主義者ばかりで、ああ、この国もそういう時代に入っているのだな、と感慨深いものがある。良くも悪くも。
さて、おかげ様ブラザーズが「すもとりゃ裸で風邪ひかん!」と歌っていたのは30年前だが、裸は裸でも今号の特集はエロだ。となると、元・コンビニ売りエロマンガ誌の編集者としては、コンビニの成人向け雑誌取り扱い停止問題を語るべきなのだろうが、たぶん、巷で騒いでいるほどの実効性はない。エロ本という商売自体が風前の灯だからだ。現状、コンビニで売れる実写エロは一般週刊誌の「死ぬまでSEX」系記事のついでに買うシニア向け熟女ものくらいで、騒いでいるエロマンガ読者の多くもコンビニでは買っていない。ガチで特殊性癖の持ち主は書類送検された有名マンガ家のようにアンダーグラウンドなルートで買うし、そこまでの特殊性癖でなければジャポルノで無修正映像が容易に入手できる。そうなると、購買層はネットを使えないブルーカラーなシニア世代だけだが、それすらもコアユーザーは富士出版の熟女写真集シリーズなどの少部数通販系へ移行しつつある。なのに、撤去反対の声が妙に目立つのは、専門店や通販でエロ同人誌や単行本を買う層が「次はこっちが規制される」と過剰反応しているからだ。しかし、コンビニ売りエロマンガ誌で善戦しているのは『快楽天』(ワニマガジン社)くらいで、青年マンガとエロマンガの中間だった非成年マーク誌もこの5年くらいの自主規制でほとんど消えた。商売的には「戦いすんで日が暮れて」で、この騒動は後日談でしかない。