フェミニズムといえば、「セックスは男性優位社会の象徴だ!」といった主張ばかりしている、というイメージを持っている読者も多いだろう。しかし、実際のフェミニズム=女性学はもっと多様であり柔軟だ。そこで、フェミニズムが「セックス」なるものをどう分析してきたのかを、次記事「フェミニズムの歴史がまるわかり!セックス議論を牽引した重要書籍9冊」と共に解説!
『メディア文化とジェンダーの政治学―第三波フェミニズムの視点から』(世界思想社)
フェミニズムというと、「社会は男性優位にできている!」「だからセックスも男性優位社会の象徴である!」「だからすべてのポルノは暴力だ!」といった、ヒステリックな主張をしているようなイメージがあるかもしれない。しかし本来フェミニズム=女性学とは、男女の性差別の払拭、女性の権利拡張、社会的地位の向上などを主張する社会思想・社会運動を指し、そのベースには社会学などさまざまな学問的知見が存在する。だからこそ学問としての「女性学」は、極めて知的に、そして柔軟に、男女関係のあり方を分析してきたのである。
そこで本稿では、フェミニズムが「セックス(性行為、性交渉)」をどのように扱ってきたのかを追ってみたい。フェミニズム史におけるいくつかの局面を象徴する名著案内と共にそのあり方を解説してくれるのは、気鋭の若手フェミニスト・大妻女子大学準教授の田中東子氏である。
「女らしさ」をセックスで刷り込む
そもそもフェミニズムは、男女が同等の法的権利さえ持っていない時代に生まれた。先駆的な動きとしては18世紀から、本格的には20世紀初頭から巻き起こった「第一波フェミニズム」においては、ゆえに近代国家における社会的な権利の獲得、法的平等の希求こそが第一義的な目的とされた。雑誌『青鞜』に代表される明治~大正時代の女性解放運動においても、彼女たちが要求したのは、参政権や投票権、財産権など法的な権利であった。つまり、この時期のフェミニストにおいては、セックスが主題化されることはほとんどなかったのである。
フェミニストたちがセックスについて盛んに議論するようになったのは、1960年代以降のこと。「ラディカル・フェミニズム」がけん引した「第二波フェミニズム」の時代である。この時代のフェミニズムこそが、冒頭で挙げたようなフェミニズムに対する「悪しきイメージ」の源泉となっているともいえる。
まず、アメリカで第二波フェミニズムの契機となったベティ・フリーダン『女らしさの神話』(邦題『新しい女性の創造』/原著:1963年)を見てみよう。フリーダンは、当時もっとも幸福だとされていた、中産階級に属する白人女性たちの専業主婦としての生活を憂いた。女性に強制された家事労働や主婦の役割、従順な良妻賢母的「女性らしさ」を疑問視し、女性にも仕事が必要だと訴えたのだ。本書のなかで、家庭内に押し込められた主婦は、自己を確認するため、自らに無関心な夫、あるいは情夫とのセックスを「新しい生きがい」としていると書かれている。
さらに、セックスにこそ男性による女性の抑圧構造が色濃く反映されていると指摘したのが、ラディカル・フェミニズムの旗手、ケイト・ミレットだ。ミレットは『性の政治学』(原著:1970年)の中で、それまで男女間の個人的な生物学的行為とされてきたセックスは、女性が従属的立場に置かれている男性優位社会構造の表出であるとした。従順な「女らしい」セックスこそが、女の肉体に性差別をすりこみ、女にも性差別を内面化させる根本原因だと主張したのだ。こうした発想の転換により、フェミニズムにおいてセックスは、忌むべき性差別の象徴となった。