新たな革命児の登場か、はたまた口先だけで終わってしまうのか――。歴史あるヒップホップ・レーベル〈デフジャム・レコーディングス〉よりソロ・デビューを飾ったSWAYの人物像を深く掘り下げた。
<本誌には掲載できなかったグラビアもウェブ限定で公開します!>
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16歳でラップを始め、生まれ故郷の北海道・札幌で切磋琢磨し続けたアーティスト、SWAY。何気ない普通の生活を送っていた彼に最初の転機が訪れたのは2012年。同じく札幌で活動していたSHOKICHI(EXILE/EXILE THE SECOND)の誘いで劇団EXILEへ加入し、上京。本名の“野替愁平”名義でドラマや映画、数々の舞台で役者の経験を積む。そして14年には、それまで〈DOBERMAN INC〉として活動していた実力派ラップ・ユニットの新メンバーとして加わり、グループ名も〈DOBERMAN INFINITY〉(以下DI)と改め、さらに精力的に活動のフィールドを拡げていった。
そんな彼が、シングル「MANZANA」でソロ・ラッパーとして本格的に始動する。本誌では、LDHの次代を担う彼の人物像に迫ってみた。
「SWAYのソロとしての活動をリスタートするタイミングは、ずっと狙っていたんです。LDHは所属するアーティストが個々に“ビジョンシート”を作るんですね。実際にSHOKICHIは、何枚ものビジョンシートを提出して、ソロ・デビューを掴みました。僕も昨年30歳になったタイミングで、HIROさんに時間を割いてもらいプレゼンしたんです。そうしたら、『SWAYなら今までも(ソロで)やっていたわけだし、タイミング次第ではできるんじゃないか』って言ってくれて、自ら動くことにしました」
今回のソロ・デビューは、アメリカを代表する歴史あるヒップホップ・レーベル〈Def Jam Recordings〉が舞台。ここ日本では、AK-69、BTS(防弾少年団)に続く3組目の所属アーティストとなる(編註:00年に設立された〈Def Jam Japan〉同様、ユニバーサルミュージック傘下のレーベルだが、レーベル名を改称しているため3組目と記す)。
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「ある時、名古屋でAKさんと話す機会をセッティングしていただいたんです。もともと、DIとのコラボの相談だったんですが、AKさんから『近い将来、SWAYもデフジャムでやれたら面白いよね』と言ってくれたんです。そのあと、再度ビジョンシートを作ってHIROさんにプレゼンしたら、『面白いね』って言ってもらえて」
完成したシングル「MANZANA」は、アメリカでも流行りの音楽ジャンルであるレゲトンやカリビアン・ヴァイブスを取り入れたスタイル。これまでのEXILEや三代目 J Soul Brothersといった、LDH所属アーティストが得手としてきたアグレッシブなダンストラックとは異なるテイストだが、それには彼の戦略的な意図があると話す。
「そこはしっかり考えました。ソロで活動する以上、“LDHらしさ”よりも、“SWAYらしさ”に重きを置かなくてはいけない。この考えには、僕だけではなく、事務所やレーベルのスタッフも賛同してくれました」
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このデビュー作で、ラッパーとしては異例の“チャレンジング”ともいえる試みがなされている。それは、収録された4曲のうち、自身で作詞した楽曲は、わずか1曲のみという点だ。「ラッパーたるもの、歌詞(リリック)は自分で書くべし」――ヒップホップにおける一種のルールでもあるが、そこにもSWAYなりの意図があるという。
「リリックを書かないと、ラッパーとしてリアルじゃないという見方があるのはわかっています。でも、あえて自分は違う形で曲を作りたかった。アメリカのヒップホップや、最近のヒットソングのクレジットを見ると、本人の作詞に加えて、共作したさまざまなソングライターの名前が出てきますよね。それって実は、セルフ・プロデュースの形としては、すごく面白い試みなんじゃないかなって」
確かに、カニエ・ウエストやドレイクといったスター・ラッパーの楽曲は、作詞家として何名もの名前が記載されていることも少なくない。「曲のストーリーを伝え、リスペクトするラッパーたちにリリックを書いてもらう」という意志のもと、SWAYが作詞を依頼したのは、日本の次世代ヒップホップ・シーンを担うSALU、Staxx T、そしてSWAYのキャリアを誰よりも近い場所で見てきたSHOKICHIだ。
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