――約20年前、一世を風靡した“裏原系”ファッション。だが、その人気はやがて衰え、11年には代表ブランドであるア・ベイシング・エイプが香港のアパレル企業に買収された。ほかにも数多くのブランドが姿を消していったが、現在、あのブームの立役者たちは何をしているのか――。裏原系版「あの人は今」!
エイプのロゴを手がけたスケートシングがデザイナーを務めるC.Eのホームページ。
90年代、“裏原系”というムーブメントがファッション界を席巻した。裏原(裏原宿)とは、原宿駅から見て明治通りの先にある原宿通りや渋谷川遊歩道一帯を指す。当時、竹下通りや表参道と比べて賃料が安く、若者が出店するには都合のよい場所だった。
裏原系ショップの先駆けは、ア・ベイシング・エイプ(以下、エイプ。93年設立)のNIGO(本名・長尾智明)と、アンダーカバー(89年設立)の高橋盾(通称・ジョニオ)が93年にオープンしたノーウェアといわれる。この出店をサポートしたのが、グッドイナフ(90年設立)の藤原ヒロシだ。なお、「NIGO」という名前は、彼の顔が藤原に似ていたことからついた「藤原ヒロシ2号」という愛称が元になっている。
このノーウェアの人気に火がつくと、ネイバーフッド、バウンティーハンター、ヘクティク、ソフ、デビロック、ナンバーナイン、リボルバーといったブランドが次々に誕生し、90年代末に裏原系ブームはピークを迎える。これらのブランドは、Tシャツ1枚が6000円以上するなど高額だったが、新作の発売日には開店前から大行列ができ、即完売&即転売されてプレミアがつくのが常であった。
しかし、00年代に入ると裏原系ブランドは勢いを失い、多くが人知れず姿を消した。11年にはエイプを展開するノーウェアが香港のアパレル企業、I.Tに売却され(このときノーウェアは、約43億円もの負債を抱えていた)、13年にNIGOがエイプのクリエイティブディレクターを退任。もはや裏原系は終わったとされるが、本稿ではブランド関係者たちの“その後”を追ってみたい。