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「マル激 TALK ON DEMAND」【129】

【神保哲生×宮台真司×吉見俊哉】理工系優位がもたらす大学教育と知の劣化

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――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地

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『職業としての学問』(岩波書店)

[今月のゲスト]
吉見俊哉[東京大学大学院教授]

森友学園・加計学園など、教育と行政の関わりが問題視される中、日本の大学が危機的な状況にあるという。少子化が進んでいるにも関わらず、次々と新しい大学が作られ、今や私立大学の4割が定員割れ。一方、文科省は国立大学への運営交付金を毎年1%ずつ削減し、人文系学部の規模を縮小、最終的には統廃合するよう通知したことが報じられている――。

神保 今回は「大学」をテーマに取り上げます。きっかけは私が『大学とは何か』(岩波新書/11年7月刊行)、『「文系学部廃止」の衝撃』(集英社新書/16年2月刊行)という2冊の本に触発されたことです。そこでその本の著者で、東京大学大学院情報学環教授であり、現在はハーバード大学でも教鞭をとられている吉見俊哉教授をゲストにお招きしました。宮台さんとは、東京大学で同窓生だったんですね。

宮台 そうですね。吉見さんは当時、演劇をきっかけに盛り場や博覧会の研究をしておられ、メディアが切り開く公共空間へと話を展開していかれた。こうした研究の流れに、大学についての書物がどう位置づけられるのかも、知りたいところです。

吉見 宮台さんがおっしゃるように、僕はかつて盛り場の研究をしていました。ですから、もともとの関心は大学の外、ストリートにあったのですね。若い頃、住んでいたのも渋谷の円山町という、昔の花街。でも、諸々の経緯で大学のアドミニストレーションもせざるを得なくなって、今日の大学で何が本当に問題なのか――ということを考えるようになったんです。私の立場は、大学はやはりメディアだというものです。例えば、16世紀から18世紀まで、大学は衰退しますが、その大きな要因のひとつが印刷革命だった。

神保 活版印刷ですね。

吉見 そうです。活版印刷により、知識へのアクセシビリティが決定的に変わったことで、「大学に何カ月も旅して行かなくても知識は得られる」ようになった。現在も同じような状況です。そういう意味でも、メディアの歴史と大学の歴史は表裏なのです。

 大学の歴史をメディアの歴史として考えようとして、岩波新書の『大学とは何か』を書きました。本当はこの1冊で終わってもよかったのですが、2015年に「文部科学省が文系学部の廃止を告知した」という趣旨の報道があり、文科省が袋叩きにされた。実際には、文科省は突然思いついたように言い出したわけではなく、むしろメディアの報道のほうに大きな問題があったんです。そこで、今の大学をめぐる本当の問題は何なのか、ということをメディアの表層的な言説を超えて、もう少し突っ込んで書こうと考えました。

神保 「文科省が文系学部の廃止を告知した」という報道は、かなり誇張され、事実に反しているということですね。ただ、日本政府は一貫して文系よりも理系を優先してきたことも事実です。別の見方をすると、文系を廃止とまではいわないまでも、日本の大学、とりわけ国立大学では、理系と比べると文系がずっと冷遇されてきたことは否めない。その点も含めて、先生がご著書で指摘されている、大学の問題を見ていきたいと思います。まず大学数の推移から見てみると、近年、国立は統廃合によって微減寄りの横ばいが続き、公立は20年ほど前から微増、私立は年々増加していますね。

吉見 1945年、敗戦の時点で日本には大学が48校しかありませんでした。その後、それまで高校だったような学校が大学になるなど、百数十に増えて、70年代くらいまでは人口増に比例して、大学数も増えていきました。70年代以降に増え方が鈍化、80年代に至るわけですが、ここまでの推移はそれなりに理解できる。しかし、90年代以降は18歳人口が減っているにもかかわらず、規制緩和の中で大学の数はどんどん増えていきました。ここに現在の日本の大学が持っている根本的な問題があります。

神保 今日、大学はどんな問題を抱えていますか?

吉見 今、大学が抱えている問題は、大きく言うと、90年代以降の一連の国からの改革がうまくいかなかったこと、そして申し上げたように、18歳人口が減っているのに大学の数や学生定員をどんどん増やしていってしまった、という2つがあります。90年代以降の改革は、いわゆる「大綱化」「大学院重点化」「国立大学法人化」の3本柱で、第一の「大綱化」は、一般教養教育の仕組みを緩めるものでした。このことで、教養教育的な部分が弱体化した。また、大学院の重点化で大学院生の数は増えたものの、高学歴層の就職口は増えなかったので、「結局、大学院に行っても、人生のキャリアで得られるのはあの程度か」となり、優秀な人たちが集まりづらくなった。結果的に、大学院に入るハードルが下がり、ますます就職が困難になるという悪循環に入っていきます。

 また、人口が減っているのに大学の数を増やしていけば、大学のほうから「来てください」と、高校にマーケティングに行くような事態が起こってくる。それが典型的に出ているのは学部の名称で、90年ごろまでには100もなかったのが、2000年には235種類、10年には435種類と増加しています。グローバル、ライフスタイル、メディア、デザイン、アーバンなど、まるで住宅展示場のような感じで、カタカナがよく使われます。

宮台 大学数が800弱に対して、学部名の種類が400以上。明らかにおかしいですね。

吉見 そうした中で、「すぐに役立つ能力を教える」ことに過剰なまでに重きが置かれるようになり、文系学部、人文社会系が大いに疎んじられることになりました。

神保 学生に対する大学からのケアも手厚くなっているようですね。

 また先生は「私立大学の都心回帰」も、重要な変化のひとつに挙げられています。これも人気取りのためなのでしょうか。実際、一度郊外に移った大学の多くが、都心のキャンパスを高層化することで、都内に戻ってきている例が多いようですね。

宮台 学部の名称がキラキラネームのようになっていくのに並行します。

神保 アメリカの地方に行くと、大学を中心にできている街を多く見かけます。日本でも八王子市の周辺に多くの大学が移転した時は、東京の郊外にユニバーシティー・タウンが形成されるのかと思いましたが、まったくそうはなりませんでした。

吉見 そもそも大学ができたのは、ヨーロッパで都市のネットワークが復活してきた時代です。教師も学生も旅人で、ハブとなる都市で集まり、共同体をつくった。共同体として、「俺たちはローマ教皇とか神聖ローマ帝国皇帝から特許状を得ている。だから税金を自分たちから取るな」とか、「俺たちを迫害すると教皇や皇帝を敵に回すことになるぞ」と大々的に言わないと、自分たちを守れなかったからです。今日、大学都市をつくるのであれば当然、大学が街の中心になる。さまざまな政治活動も起こるけど、それも生活の一部として都市をつくっていく。そういう発想が、日本ではなかなかできなかった。

宮台 一水会の元代表・鈴木邦男氏にゲストに来ていただいた際に「鍋パーティ問題」の話をしました。70年代後半、地方から出てきた学生は、すでに共同性を失った大学で居場所がわからず寂しい思いをします。そこに鍋パーティへの誘いが来て、疑似家族的な共同体経験をして居場所を見つけたと思うと、「研修会があるんだけど」と誘われて……という流れ。それがセクトだったりカルトだったりするんたけど、気がついたときには後の祭り。「寂しい場所には戻りたくない」となって取り込まれていく。そうなる直前までは大学に寝泊まりする連中が普通にいて、大学はまさに共同体だった……というか共同体になり得る可能性を見せたのですが、学園闘争の終焉に並行して可能性が失われました。

神保 興味深いデータがあります。進研アドという会社が08年と13年、大学生に進学する理由を聞いたところ、「学歴のため」と答えた人が08年は81・6%、13年は81・9%でほぼ横ばいでしたが、「教養を身につける」と答えた人が86・1%から76・5%に、「専攻学問を研究したい」が77・7%から61・2%へといずれも大きく減少していたそうです。また、「不安だからとりあえず」と答えた人の割合が52・3%から64・4%に、「周囲がみな進学するから」が41・5%から63・7%に、「先生や家族が勧める」も42・7%から48・7%に、「なんとなく」が27・5%から48・7%に、いずれも増えていました。総じて、「自らの意志」や「勉強したいから」が減り、その分、「人から言われたから」や「何となく」が増えているようです。

宮台 やはり「正しさ」より「損得」へとシフトする傾向が見えます。損得を超えて正しさに向かおうとする内発性――やむにやまれない学問動機――は完全に過去のものとなりました。

吉見 かつては、「親から離れて自由な時間を過ごしたい」という思いが強かったでしょうね。教室の勉強は嫌いでも、もう少しポジティブな動機があったと思います。

神保 ある意味では自立ですよね。

宮台 僕は駒場キャンパスに進学して最初に出席したのは、有名な統計学者であり日本政治史の学者でもあった中村隆英先生の統計学講義です。先生は、入室して立錐の余地なき教室を見渡すと、突然怒りだしました。「君たち、なんのために大学に来てるんだ? 友を見つけて語らい、旅をして知らなかった世界を知り、珠玉のごとき音楽や映画や書物の歴史をひもとく。それが大学生活だぞ。統計学など書物で独学できる。いい加減にしろ」と。

吉見 大学が生活の場であるならば、それは当たり前のことですね。そこには勉強や研究以前に、知的コミュニティが存在する。それがなくなってしまった感じがします。

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