2020年に五輪開催を控える東京と日本のスポーツ界。現代のスポーツ界を作り上げ、支えてきたのは1964年の東京五輪で活躍した選手たちかもしれない。かつて64年の東京五輪に出場した元選手の競技人生、そして引退後の競技への貢献にクローズアップする。64年以前・以後では、各競技を取り巻く環境はどう変化していったのか?そして彼らの目に、20年の五輪はどう映っているのか――?
たかやま・まさたか
[ボクシング] フェザー級二回戦敗退
1947年10月30日生まれ。中国上海市出身。小学生からボクシングを始め、早稲田大学在籍時に日本代表としてフェザー級で64年東京五輪に出場。大学卒業後は先輩であるピストン堀口が湘南に開いた堀口道場に入門し、プロボクシングの道へ。プロではライト級を主戦場に日本王座を獲得し、敗れはしたがロベルト・デュランの世界王座にも挑戦した。75年の現役引退後、その技巧を買われ、アニメ「あしたのジョー2」の技術アドバイザーを務めている。
「村田諒太を私物化する『ボクシング連盟のドン』」。
そんな物騒なタイトルの記事が、「週刊文春」(文藝春秋)2017年8月10日号に掲載された。日本ボクシング連盟・山根明会長の秘書を務めた、澤谷廣典氏による告発記事だ。
〈日本のアマチュアボクシング界は、不祥事の隠蔽、審判や選手などへの暴言、連盟内の女性トラブルが起きるなど、惨憺たる状況が続いています〉
そんな談話から始まる記事では、世界タイトルマッチの記憶も新しいロンドン五輪金メダリスト村田諒太らを引き合いに出し、日本ボクシング界に潜在化してきた“プロ”と“アマ”の壁にも言及。
〈村田に、プロ転向の話が持ち上がったのが一二年頃のことだ。ここでも山根会長は、村田の前に立ちはだかったという。
「山根氏は、村田のプロ入りに強固に反対。日本連盟がお金をかけて育てあげた選手だから、プロには渡さないというのです。(中略)今年六月、東京五輪出場を目指すため、元プロの高山勝成が、アマチュア登録を申請したものの、連盟は受理しなかった〉
もちろん実力があれば、本来は“プロ”“アマ”関係なく五輪には出場させるべきだろう。ただ、この種の問題はボクシングに限った話ではない。例えば同じく“プロ”“アマ”の両方が存在する野球では、段階的に雪解けが進んでいるが依然「プロ・アマ規定」が存在している。
とはいえボクシングのように、ここまで騒動が顕在化してしまうことも珍しい。東京五輪を目前に控え、一致団結しなければいけない時期に、である。
歪んだ拳は、高山の身体に刻まれた歴戦の証である。
「私のプロ入り時は、アマ(の連盟に)にあいさつしにいったりとかは、ありませんでしたけどねえ」
そう話すのは、ボクシングフェザー級で東京五輪に出場した高山将孝。彼は東京五輪後にプロへ転向し、世界タイトルマッチも経験。あの“石の拳”ロベルト・デュランと拳を交えた。声と体を震わせながら話す好々爺然とした風貌からは、幾多の戦いを経たボクサーの面影は感じられない。しかし、よく見れば拳はゆがんでおり、本人も認める通り、ダメージの影響で人の名前が中々出てこない。ボクシングという過酷な競技は、確実にその体を蝕んでいた。
実は、64年東京五輪の直後、ボクシングにおける最初の「プロアマ問題」が勃発している。バンタム級で金メダルを獲得した桜井孝雄が、五輪大会後にプロ転向を表明、アマの世界から「裏切り者」のレッテルを貼られ追放された。桜井は晩年のインタビューでも〈プロとアマがねえ。もっと関係が良くならないと〉(2011年10月18日付・日刊スポーツ)という発言を残している。その後、48年もの間、日本がボクシングでメダルを獲得することはなかった。高山は同じ日本代表として、桜井孝雄の金メダル獲得、そしてその後の騒動をどう見ていたのか。まずは彼の競技人生をさかのぼってみよう。