――このところ、夏になると日本の新しい世界遺産が誕生することが、もはや風物詩のようになっている。世界遺産の基本理念である国際的な自然や遺跡の保全活動は、地域活性化・観光振興のための単なるブランドに成り下がってしまったのか? 近年のチャチな世界遺産が登録される裏で蠢く、思惑や駆け引きを探る!
■地域別世界遺産数※「ル・コルビュジエの建築作品」は欧米、「ウヴス・ヌール」と「ダウリヤの景観群」はアジアでカウント。
今年7月、福岡県宗像市の沖ノ島(正式名称は「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」と、なんとも仰々しい名称)が世界遺産に登録されたという一報は、驚きと喜びをもって迎え入れられた。この登録によって我が国としては5年連続、文化遺産と自然遺産を合わせると21件目の世界遺産が誕生したことになる。
日本が誇る自然環境や文化財が世界に認められるのは非常に喜ばしいことだが、一方で「なぜこれが世界遺産に?」と思った人もいるだろう。だが、これは日本だけに限った話ではなく、世界遺産はすでに全世界で1000件以上もあり、もはや乱立状態だ。
ただ、やみくもに増やしているわけではない。世界遺産の中でも自然遺産はひとつの答えに収束していく一方、文化遺産は審査する難しさゆえ、乱立してしまっているという。
また、この乱立状態は、世界遺産という強固なブランドが渇望されていることも意味する。たとえば、2014年に登録された富岡製糸場の経済波及効果は年間34億円という試算が出され、実際登録後には多くの観光客でにぎわったのは記憶に新しい。
ただ、考えてみてほしい。世界遺産の本来の目的は先進国や発展途上国という垣根を越えた、歴史的価値のある遺跡や自然環境の保護であり、決して観光振興ではない。富士山の清掃活動を長年行ってきたアルピニストの野口健氏は、13年に『富士山―信仰の対象と芸術の源泉』として富士山が世界文化遺産に登録されたことについて、胸中を打ち明けた。