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更科修一郎の「批評なんてやめときな?」【27】

オタクたちの被害者意識はいつまで続く…幽霊、ポルノしか誇れない国粋主義。

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――ゼロ年代とジェノサイズの後に残ったのは、不愉快な荒野だった?生きながら葬られた〈元〉批評家が、墓の下から現代文化と批評界隈を覗き込む〈時代観察記〉

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本文の話題で参考になりそうな本がまったくない。本当にろくな本がないので、読書中の本でも挙げとく。

 都議選の結果に呆れつつも、今回の特集は「日本のエロ」なのだが、筆者がエロ本の編集者だった20年前から考えると、ずいぶんとポルノグラフィも変わったな、と思う。その時代にかかわっていたマニアックでフェティッシュなポルノグラフィが、街やウェブを彷徨っていても、否応なしに視界へ入ってくるからだ。セックスを直接描くハードコアではなく、それはむしろ隠蔽されているソフトコアなのだが、「性的興奮を与えることを目的とした性的行為の描写」がポルノグラフィならば、街やウェブに溢れている「描写」は間違いなくポルノだ。表向きは「違う」ことになっているが。

 日本のポルノメディアの特殊性は、文化的抑圧から生まれた窃視的なフェティシズムにある。射精やエクスタシーではなく、欲情すること自体が目的化しているため、セックスを直接描く必要がなく、むしろ、迂遠でフェティッシュな描写の創意工夫を競っている。おそらく、今回の特集では創意工夫されたサブカルチャー系のポルノが主に扱われているのだろうが、現実には「萌え」と呼ばれる、いわゆる「少年マンガ誌のポルノ」が発展した一方で、昭和の時代には「艶笑」などと言われていた文芸的で諧謔的な「青年マンガ誌のポルノ」は退潮してしまった。後者で今も残っているのはアダルトビデオだろうが、ピンク映画やロマンポルノの時代と比べると、フェティッシュな細分化=ユーザーのニーズに合わせた最適化が進んでいる。

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