『松居一代の開運生活』(アスコム)
“おしどり夫婦”とはメディアが夫婦のイメージから名付けるものである。「仲のいい夫婦」として公の場に出て演出すれば、“おしどり夫婦”の称号を授けられる確率は高く、「夫婦で番組出演やCMがとれるメリットがある」(テレビ関係者)そうで、それには夫婦で演出する必要性があることから「本当は仲の悪いおしどり夫婦」と言う言葉まであるほどだ。
松居一代(60)も良き妻ぶりを演出していたひとりだった。それに松居は自らマスコミ操作して演出する自己プロデュース能力を習得していた。テレビ関係者がいう。
「昔は人妻らしい色気もあったし、常に笑顔で相手の目を見つめながら“本当はこうなのよ。わかるでしょう”と言われたら若い記者やディレクターなどイチコロ。ホステスがお客の関心を呼ぶやり方と同じ」
若い記者から松居取材後の話を聞いてみると、「彼女の話は面白いし、凄い説得がある」とよくいわれた。完全に松居マジックにやられていたのである。
“松居棒”や松居著の“本”が売れたのも、マスコミ操縦によって宣伝してもらえた効果は大きい。マスコミ操縦は離婚騒動が起きてからもいかんなく発揮されている。
3年前に離婚が報じられた際、松居は自宅に取材に来たマスコミを近くの神社に集め、正月に2人で奉納した鈴緒を見せ、「仲が悪かったら二人で鈴緒に署名しますか」と力説、離婚を否定した。これには裏がある。鈴緒を奉納したのは事実だが、二人は別々に署名に来ていた。「毎年行っていることなので、船越も仕方なく後から1人で神社に来て署名しただけ」というのが芸能関係者の通説。夫婦円満を主張するためには嘘もつく。こうして松居の化けの皮は徐々にはがれていった。
さらに、2年前の松居の実用書出版に当たってこんなことがあった。「どうやったらマスコミが大勢来てくれて大きく扱ってもらえるか」と出版社の人と仕掛けを考えていた。「私生活で面白い話をすればマスコミは飛びつく」とのアドバイスを得た松居は、2015年に亡くなった川島なお美さんが以前、船越と交際していた事実を話すことだった。
とはいえ、唐突に松居から話を切り出すのは不自然。「話を切り出したのは、まったく知らない記者でした。質問が終わるといつの間にかいなくなっていた」(スポーツ紙記者)と言うから、松居が仕込んだ記者というのが大方の見方だった。翌日、松居の思惑通り大きな記事となり話題となったが、本の話より話題の大半は川島さんと船越の話。本の話は付足し程度で本の宣伝効果はあまりなかったうえに、逆に夫婦に大きなミゾを作る結果になった。さらに、「亡くなった人に鞭打つような行為。川島さんが亡くなって憔悴している旦那さんに対する配慮などそのかけらもない。非情な行為」と松居はバッシングを受けることになった。当然のように船越は激怒。船越の離婚の決意が固まったときだったという。それでも松居はめげない。マスコミを利用した自己プロデュース力で離婚を否定し続けた。一部の番組のディレクターらは松居の手の内。個人事務所所属の松居は不都合な話が出ると、自らディレクターに電話。「私の言い分を放送して」と強引に出演。いつもの笑顔で否定する。
それでも離婚話は確実に進行していく。
船越との離婚が決定的と判断した松居が最後にとった策が「週刊文春」に話を持ち込むことだった。それも、いきなり編集長宛てに手紙を出した。「今、一番売れている週刊誌に出すことが影響力を持つ。しかも、船越の浮気相手を特定していて現場を押さえる」という突拍子もない策だった。確かに浮気現場を押さえれば、松居の勝ちに繋がるが、他のマスコミを手の内で転がしたように、一筋縄ではいかない。女性記者と一緒に浮気相手がいるハワイへと飛んだが、実態は掴めず。浮気相手とされる女性もそのダンナさんとも接触すらできなかったという。それどころか近々にも「名誉棄損」で訴えられる可能性まで出てきている。
証拠はなくとも、自分の主張は正しいと文春に告白記事を申し出る松居。離婚は相手あっての話。本人の話でも裏取りするのが取材の基本。松居の話には怪しい部分が多過ぎると文春は却下。逆切れした松居は文春発売の前日に「文春に騙された」とユーチューブで訴えた。策士が策に溺れたのである。それでも松居はめげない。今度はブログやツイッターなど自分の主張だけを発信できるネットに切り替え、船越批難を始め、今も延々と続けている。本来ならネットの中の話だが、テレビやスポーツ紙はネットから興味深い話を引用。話は拡散していく。これも松居の計算づく。脚本家の大宮エリーや渡辺謙まで出す。一部のテレビやスポーツ紙は飛びつく。話はネットから世間へと拡散していく。松居の思うツボ。「松居の目的は船越を潰すことしかない」という。離婚調停から裁判に移るのは確実。松居と船越の戦いはさらに続く。
(敬称略)
二田一比古
1949年生まれ。女性誌・写真誌・男性誌など専属記者を歴任。芸能を中心に40年に渡る記者生活。現在もフリーの芸能ジャーナリストとしてテレビ、週刊誌、新聞で「現場主義」を貫き日々のニュースを追う。