サイゾーpremium  > 連載  > 高須基仁の「全摘」―お騒がせ男の"最初で最後の懺悔録"   > 高須基仁の「全摘」/「このハゲー」の豊田真由子は昭和の女の鑑!?
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お騒がせ男の"最初で最後の懺悔録"──高須基仁 の「全摘」 No.63

「このハゲー」の豊田真由子は昭和の女の鑑!?丸川珠代、三原じゅん子も……

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──年齢不詳、職業不明、痛風持ち……老獪タカスが、自らの五臓六腑をすする気合で過激に告白&提言

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7月1日、私が審査員長を務める「日本・パラオ国際親善大使プリンセス選考会」が行われた。グランプリは家田恵里佳さん。豊田議員とは似つかぬ、真の清楚さの持ち主。これはこれでイイ。

 罵詈雑言、口汚く罵る。物心ついたときからそれが日常茶飯の世界に生きてきた。祖父が営む商売には住み込みの人もいて「このやろう」「殺すぞ」程度のことを雇人に言うのは、商人、職人の世界では当たり前。小学校でも先生は罵詈雑言の嵐。とりわけ体育の先生は口汚い。中学に入ると「チャンコロが」と言う先生もいた。「チャンコロとはなんですか」「中国人のことだよ」と。あとで聞いたら、中国に兵隊に行っていた先生だった。

 高校に入ると運動部、とりわけ野球部は鉄拳制裁は当たり前。気にもしない。軍隊の流れがあったのだろう。年に一回のお祭りでは町内同士で大喧嘩、殴り合い。だが、入院するまではやらなかった。家庭内でもちゃぶ台返しが日常茶飯事だった。

「日本人はおとなしい、中国人や韓国人のように大きな声を出さない」とよくいうが、1965年くらいまでこうだった。当時の故郷・静岡掛川は職人、商人、在日、同和、ヤクザが多かった。

 罵詈雑言と小暴力がなくなったのはいつからだろうか。70年代に入った頃からか、規制、規制が始まり、口喧嘩が消え、議論がなくなった。

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