[語句解説]
20世紀初頭にジクムント・フロイトが提唱した理論。人の精神活動はリビドー(性的衝動)を根本原理としており、精神の病も、その阻害によって生じるとする。患者を長時間「カウンセリング」することが必要であり、伊地知は人間の精神活動を解明する大理論として精神医学のみならず文学の世界までも席巻したが、その“効果”には疑問が付されることも多く、効果的な薬物の開発などもあり、1970年以降、急速に廃れた。
こんにちは、私は岩波明という精神科医です。精神科というのはほかの医療分野に比べまだ未解明な部分も多く、いまでは完全に否定された治療法が、少し前まで普通に医療現場で利用されていたといったことも珍しくありません。しかし一方で「新型うつ」や「発達障害」といった言葉がメディアを賑わすなど、昨今、精神医学への注目度はますます上がっているようです。そこでこの連載においては、過去に「流行」した精神疾患に対する治療法を取り上げ、それがどうして廃れてしまったのか、いわば精神医学のダークな「歴史」について述べていきたいと思っています。
初回のテーマは「精神分析」。精神医学の治療法といえば、いまだにフロイトの創設したこの精神分析を思い浮かべる人が多いかもしれません。患者はベッドに横たわり、自らの話を語る。その傍らには、精神科医が重々しい雰囲気で座って傾聴している。これが精神分析のオリジナルな治療風景です。最近のテレビドラマでも、日本テレビの『Dr.倫太郎』において、堺正人が演じる主人公の精神科医・日野倫太郎が、こうしたスタイルで治療を行っていました。
精神分析において、患者は自分の精神的・身体的な症状について述べながら、自らの「ヒストリー」についても語ります。それは複雑な家族関係であったり、こじれた異性問題であったりします。治療者はそうした患者の話を聞き続けるわけですが、具体的なアドバイスをしようとはしません。対話の中で患者は、自由連想や夢などを頼りにして、次第に自らの幼児期の侵襲的な体験(トラウマ、心的外傷)にさかのぼっていきます。精神分析の理論では、このような過程の中で、患者は自らの内面で抑圧された感情(葛藤)を認識することができるようになり、この「洞察」という現象が症状の改善や治癒につながるとされています。正しい洞察を得ることによって、患者は自らの症状の象徴的な意味を自覚し、さまざまな精神的な症状を乗り越えていくことができる、というのが精神分析の理論なのです。