――昨年から今年にかけて、「長生きは幸せなのか?」と問う本が続々刊行されている。高齢化社会が叫ばれて久しく、昨今では、平均寿命100歳時代が来るともいわれる中、その死生観を宗教学者はどう捉えているのか? 話題の書とともに、話を聞いた。
『九十歳。何がめでたい』(小学館)
現代社会において、長生きする過程には数々の“苦痛”が待ち受けている。そんな中で長生きすることは、本当に幸せなことなのだろうか?
近年、そんな高齢化社会に疑問を呈する、いわゆる「長寿問題視本」が増え始めている。それらの書籍は、「無縁と孤独」「老後破産=貧困」などがもたらす「絶望」という観点から高齢化社会の現状を見つめ、事態の深刻さを訴える。
〈医療の向上と食事の充実、便利で快適な生活、自立も自活も叶わずとも生き続けられる社会システムは、それまでの「何となく生きて、ほどほどで死ねる」時代から、「限界まで生きて、仕方なく死ぬ」時代を作り出した〉
この一文は、長寿が生み出す苦しみに迫ったルポルタージュ『絶望老人』【1】のあとがきに添えられたものだ。著者は、長生きという現象の中で、いかに老人たちが経済的に、社会的に“疎外”されていくかについて、現場の声とともに説いている。
また、孤独死の問題を扱った『孤独死大国 予備軍1000万人時代のリアル』【2】の内容も衝撃的だ。現在、日本では年間で約3万人が孤独死をするといわれている。そしてその多くが、「セルフ・ネグレクト」や「飢餓」、「社会とのつながりの喪失」などに苦しむ高齢者だ。
長生きすることが“善”とされていた死生観が、激しく揺れる現代日本。それら「長寿問題視本」の登場を、日本を代表する宗教学者はどう見ているのか? 今回、上智大学大学院実践宗教学研究科教授・島薗進氏に、宗教関係者の立場を聞いた。
「東日本大震災の被災地で活動する宗教関係者からは、仮設住宅に住む少なくない高齢者が、自殺願望を持っているという報告も上がってきています。体力的にも衰え、それまで築いてきた社会とのつながりを失い、希望もやりたいこともない。つまり、生きていくことがおっくうという感覚が蔓延してしまっている」
島薗氏は、「被災地では若い人が自殺をほのめかす場合もある」と話す。ただそこには、“生まれ変わり”願望など、新しい自分になりたいというポジティブな欲求が隠れているケースが多く、高齢者のそれとは少し異なる問題だと付け加える。