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大石始のマツリ・フューチャリズム【13】

ヤンキーと祭の親和性は非常に高い――ヤンキーよ、神輿をかつげ

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――21世紀型盆踊り・マツリの現在をあらゆる角度から紐解く!

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五所川原の立佞武多で盛り上がる若者たち。迷惑行為は慎んでほしいところだが、彼らが持つ根っからのお祭り精神は、祭りそのものを盛り上げる大きな資源だ。

 各地の祭りをめぐっていると、少々とっぽい男たちが装束や浴衣をビシッと着こなし、祭りの中心で重要な役割を果たしている光景を目にする。彼らの横に並ぶと、生真面目なサラリーマン風男性が頼りなく見え、やはり祭りには、ちょっとヤンキーな雰囲気のガラが悪くイカつい男のほうが似合う。

 現在、各地で祭りの担い手となる若者たちが減少し、一部は存続の危機に晒されていると聞くが、そうしたなかで、ヤンキーの存在が重要となりつつある。今回はそんな現状を紐解いてみよう。

 五十嵐太郎氏の編著による『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)において、宮台真司氏は「ヤンキー」をこう定義している。

「ヤンキーはいわば裏の地域共同体、すでにある地域共同体の裏側に貼り付くような形で存在してきました。(中略)農村社会学の伝統的概念で『年齢階梯制』というのがありますが、簡単に言えば、若衆宿に集う集団、青年団、老人会といった年齢集団を、年が上がるにつれて移行してゆくプロセスのことです。この観点から言うと、ヤンキーカルチャーは年齢階梯制に組み込まれたトラディショナル(伝統的)なものだと言えます」

 つまり、ヤンキーとは必ずしも地域のはみ出し者ではなく、地域共同体の伝統的なシステムに組み込まれた存在でもあるというのだ。そのように地域共同体と密接な関係を持っているがゆえに、ヤンキーは地域共同体の行事である祭りで重要な役割を果たす。宮台氏はヤンキーを「年齢階梯制をベースにした不良集団」であり「いわゆる逸脱集団ではない」と定義しているが、実際、ゴリゴリのヤンキーが元ヤンキーの先輩に誘われて、祭りの主催側に身を投じていくケースは決して珍しいことではない。例えば、汗を流して神輿をかつぐ姿や激しく太鼓を打つ先輩の姿に憧れ、暴走族を引退したという話を耳にしたことがある。

 また、ヤンキー(およびマイルド・ヤンキーとされる人々)は、就職後も地元に身を置き、社会人になってからも仲間たちとの繋がりを重要視するといわれ、都会に進学し、そのまま地元を離れて就職~結婚する者よりも、地元志向の強いヤンキーのほうが祭りに積極的にかかわっていく傾向が強いようだ。

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