――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
今年のアカデミー賞で14ノミネート、6部門を受賞し、ミュージカル映画としては異例の大ヒットを飛ばしている『ラ・ラ・ランド』。国内外のマスコミ・文化人による絶賛の嵐を経て、日本公開から間もなく2カ月。各所での感想戦が一巡し、いい大人のオッサンがフェイスブックで「3回目の鑑賞!」などとドヤ顔でチケット半券写真を投稿するラッシュも一段落した今、気になることがある。同作への評価が、男性は「絶賛」が大半なのに対し、一定数の女性が「それほどでもない」と白けていることだ。というわけで、今回は結末ネタバレ上等にて、その理由を探りたい。
ストーリーは、現代のLAを舞台にした典型的なボーイ・ミーツ・ガールものだ。主人公は売れないジャズピアニストのセブ(ライアン・ゴズリング)と、なかなか芽が出ない女優志望のミア(エマ・ストーン)。2人の出逢いと恋愛模様、それぞれが叶えたい夢の前に立ちはだかる現実が描かれる。
結論から言えば、本作は男が最高に気持ち良くなれるよう巧妙に設計された「超・男の子映画」だ。
セブははやりの現代ジャズを頑なに否定し、オールドスタイルのジャズに固執する。自分の追求する音楽こそが“本物”であり、それ以外の価値観を認めようとしない。いつか自分の認めるジャズだけを演奏する店を持ちたいと考えているが、なんの実績も資金的なアテもないまま、長らくくすぶっている。つまりいい年こいて厨二病全開野郎であり、口で理想を語るだけのオジサン文化系男子と大差ない。……のだが、むしろそれゆえに、我々はセブに一瞬で感情移入できてしまう。
我らが文化系男子たちが常に夢見ているのは、好いた女が自分の「才能」に惚れること(異論は認めない)。本作もその点は抜かりない。ミアがセブに惚れたきっかけは、店から屋外に漏れ聞こえてきた彼のピアノ演奏、つまり「才能」そのものだからだ。