「中平卓馬 吐噶喇列島、1976年」より
1975年冬に奄美諸島を訪れた中平卓馬は、「アサヒカメラ」の76年2月号に「奄美 波と墓と花、そして太陽」という一連の写真を発表する。タイトルの近似性から、75年に出版された東松照明の写真集『太陽の鉛筆――沖縄・海と空と人びと・そして東南アジアへ』への応答だと考えていいだろう。この写真集のなかで、沖縄を経由することで東南アジアへと南下し、「発泡スチロールが海面を滑るときの軽さで地球を回ることができる」と綴っていた東松に比べて、「沖縄について語ること、それは私にある種の苦痛を強いる」として沖縄から北上した中平の足取りは重々しい。