進化の歩みを止めないIT業界。日々新しい情報が世間を賑わしてはいても、そのニュースの裏にある真の状況まで見通すのは、なかなか難しいものである――。業界を知り尽くしたジャーナリストの目から、最先端IT事情を深読み・裏読み!
『グーグルに学ぶディープラーニング』(日経BP社)
今年1月、日本経済新聞が決算報告に関する記事をAIに作成させたことが一部で話題になった。「AIが人間の仕事を奪う未来は近い」と震撼させられる出来事であったが、その手前の段階として、業務の効率化を目指したオートメーション化技術も進展している。複雑さゆえに手作業に頼らざるを得なくなる袋小路のような非効率さから解放されるための技術を、今回は紹介したい。
人工知能(AI)のマシンラーニング(機械学習)という手法は、コンピュータにルールを教えるのではない。入力データと、それをどう判断するのかという訓練データ、このペアの入出力データを用意し、「教師」としてコンピュータに学習させていく。これが一般的に「教師あり機械学習」と呼ばれているものだ。「学ぶ」という言葉を使うと、まるで人間の小学生のようにだんだんと賢くなって知性を高めていくように思えるが、そんな高度なことをしているわけではない。実際には、入力データと出力される訓練データの間の関数の精度をだんだんと上げているにすぎない。
伝統的なAIがもっぱら「ルールを学ぶ」方法中心だったのに対し、21世紀に入ってから盛り上がってきている第三次AIブームでは、この機械学習のような「ルールを学ぶのではなく、入力と出力の相関関係を学ぶ」方向に変わってきた。例えば世界トップクラスの棋士に勝利して話題になった囲碁のAIプログラム「アルファ碁」は、囲碁のルールは知らない。どのような手を打てばそれがどのような結果を招くのかを、数十手、数百手も先まで多層に積み重ねた相関関係の中から探り出しているだけなのである。
これは普通の人間にとっては、驚くべき考え方である。なぜなら人間とは、小学校で学ぶ算数にしろ会社員の日頃の業務にしろ、ルールを学ぶことで物事を覚えるものだと思っているからだ。ルールとは、例えば「これとあれを足したら必然的にこうなる」「3と5を足したら算数では8になる」というようなもので、いわば因果関係の世界だ。しかしAIには因果関係の発想はない。「これ」と「あれ」の相関関係だけで世界を見ている。3と5を計算して足しているのではなく、多くの「3」と多くの「5」を足し算の元データとして入力すると、たいていの場合は結果が「8」になっているから、答えは8だと捉えるのだ。ルールのない世界である。
そして、マシンラーニングとはまったくアプローチは異なるが、「ルールのない世界」を別の視点から実現しているのがRPAである。
これはロボティクス・プロセス・オートメーションの略語で、ビジネスプロセスを自動化するものだ。例えば、エクセルの帳票への数字の入力といった単純な事務作業をすべて自動的にやってしまおうとするものである。これだけだと「エクセルのマクロのことか?」と思ってしまうが、マクロを組むよりずっと簡単に自動化できるのがRPAの特徴である。つまりエクセルのマクロのように難しいルールを扱わずに、データにかかわる事務作業を簡潔にしようとしているのだ。
具体的に説明すると、人間の担当者がパソコンに向かい、ウェブブラウザを開いて帳票作りやデータの移行などのさまざまな作業をすると、RPAはそのプロセスを全部自動的に記録してくれる。記録さえしておけば、RPAがいつでもまったく同じように再現してくれる。人間の側は、プロセスの記録に「作業開始」ボタンを用意しておくだけでいい。そのボタンを押すだけで、これまで人間が行っていた細かい作業が自動で行われる。何百通もの申請書の入力も、エクセルの帳票の作成も、すべて人間と同じようにやってくれるのだ。
あるいは、物理的な世界でも、同じような「ルールなき世界」を実現しているロボットがある。日本でも人気の掃除ロボット「ルンバ」を開発した技術者ロドニー・ブルックスが、新たに開発した単純作業用の工場向けロボット「バクスター」だ。
産業用ロボットというと、自動車メーカーなどで使われている高性能で精巧な機械を思い浮かべる。人間にはできないような精密な作業を、高速で行えるものだ。しかしバクスターは同じ産業用でもまったく違い、「精密な作業を高速に」行うのではなく、「粗い作業を低速に」行うロボットである。
ベルトコンベアを流れてきた製品を取り上げて別の箱に移したり、荷物を下ろしたりといった単純作業を、バクスターは人間と同じようなスピードで行ってくれる。そしてこれが肝心なのだが、従来の産業用ロボットのように作業指示のための細かいプログラミングは必要ない。ルールを覚えさせるのではなく、現場にバクスターを立たせ、実際にその場で人間が手を添えて作業をやらせ、腕に配置されているボタンを押すと、その作業をバクスターはその場で覚えてくれるのである。
話を戻そう。RPAやバクスターのような「ルールなき世界」のオートメーション化は、日本経済の大きな問題を解決するかもしれない。日本のビジネスの世界では、やたらとカスタマイズや個別最適化が多く、ルールが標準化されていないからだ。
日本の生産性の低さは、悲惨な状況にある。日本のGDP(国内総生産)は中国には抜かれたとはいえ世界第3位で、いまだ経済大国であるというプライドを持っている人も多いだろう。しかしGDPを国民1人当たりの数字で見ると、なんと26位にまで落ちてしまう。時間当たりの労働生産性も21位。人口が多く、長時間労働でなんとか回し続けているから、ようやく経済大国の面目を保っているだけなのだ。実は日本人はとても効率の悪い働き方をしていて、一人ひとりの富は増えていないのである。
日本でも従来から、業務をIT化して簡易にしようと努力はされてきた。BPR(ビジネス・プロセス・リエンジニアリング)もそのひとつで、業務の流れを見直して、全体を最適化しようというものだった。しかし日本のオフィスでは標準化された業務が少なく、やたらとカスタマイズされている。そういうすべての業務フローを見直すことは、容易ではなかったのである。下手をすると組織系統を変えたり、情報システムも全面的に入れ替えなければならない。予算も相当に必要で、人的な負担も大きい。そうしたカスタマイズされた複雑な業務に合わせて、SI業者が高価で複雑な情報システムを組み立て、さらに複雑になってしまっているのが現状だ。
ところがRPAはBPRと異なり、業務フローを手直しする必要がない。今現実にやっている業務を、覚えさせるだけでよいのである。組織をいじる必要はないし、高価な情報システムを新導入する必要もない。つまりきわめて低コスト・低負担で導入できて、そしてオフィスの業務の生産性を上げることができる。ルールを覚えさせる必要がないからこそ、日本のオフィス環境に向いているのだ。
RPA分野の国内でのリーディングカンパニーとしては、RPAテクノロジーズという会社がある。同社の導入事例として、日本生命が保険掛け金の引き落としを都銀や地銀など銀行ごとに80人態勢でダブルチェックしていたのを、わずか13人に減らすことに成功した例がある。 また、ミニバンを国内の中古車市場で仕入れて東南アジアに販売するビジネスを手がけている中古車の商社では、これまでは営業マンが血眼になって各種自動車売買サイトをチェックして目的の車種を探していたのを、RPAで代替するようになって手間が激減したという。
さらにこの先には、RPAをAIと連携させることで、人間の第六感を超える価値を業務にプラスすることができるようになるだろう。例えば受発注の増減や顧客の動向の変化について、これまではベテランの従業員が「あれ、この客の注文が最近変わってきたな」という鋭敏な感覚で見ていたことが多かった。しかし今後はビッグデータをAIで分析することで、もっと精緻な予測を行えるようになってくる。日常業務をRPAによって自動化し、AIの分析を組み込むことが可能になってくるだろう。
佐々木俊尚(ささき・としなお)
1961年生まれ。毎日新聞、アスキーを経て、フリージャーナリストに。主著に『レイヤー化する世界』、『21世紀の自由論─「優しいリアリズム」の時代へ』(共にNHK出版)、『そして、暮らしは共同体になる』(アノニマ・スタジオ)ほか。
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