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哲学者・萱野稔人の"超"哲学入門 第37回

【哲学入門】社会的に共有された倫理的観念を国家は刑法をつうじた取り締まりによって実効的なものにしている。

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(写真/永峰拓也)

『法の哲学』(Ⅰ・Ⅱ巻)

ヘーゲル(藤野渉・赤沢正敏/訳)/中公クラシックス(01年)/1500円(Ⅰ・Ⅱ)+税
「理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的なものである」という有名な言葉でも知られる大著。「法」「正義」「権利」など人間社会全般に通じる概念の本質を明らかにしようとする法・政治哲学の金字塔。

『法の哲学』より引用
国家は倫理的理念の現実性である。――すなわちはっきりと姿を現わして、おのれ自身にとっておのれの真実の姿が見紛うべくもなく明らかとなった実体的意志としての倫理的精神である。そしてこの実体的意志は、おのれを思惟し、おのれを知り、その知るところのものを知るかぎりにおいて完全に成就するところのものである。国家は習俗において直接的なかたちで顕現し、個々人の自己意識、彼の知と活動において媒介されたかたちで顕現するが、他方、個々人の自己意識もまた、心術を通じて彼の実体的自由を、彼の本質であるとともに彼の活動の目的と所産であるところの国家のうちにもっている。

 これまで二回にわたって、ヘーゲル『法の哲学』にもとづきながら、国家を哲学的に考察するとはどういうことか、ということを考えてきました。今回はそれを受けて、ヘーゲルは国家をどのようにとらえていたのか、ということを考えていきましょう。

 まず上の引用文をみてください。これは『法の哲学』「第三章 国家」の冒頭にでてくる文章です。ここでヘーゲルは、国家とは何かを定義しています。つまり、ヘーゲルが国家をどのようなものとして考えていたかということがこの文章に集約されているんですね。

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