――「週刊ダイヤモンド」「週刊東洋経済」等は、実は戦前からある歴史ある雑誌。そして、それらの雑誌の「経済予測記事」も、戦前からよくある名物記事であったという。メディアによる「経済予測」の歴史と、経済学における「予測」の有り様について、明治大学政治経済学部准教授・飯田泰之氏に話を聞いた。
『戦う石橋湛山』(中公文庫)
──「東洋経済」「エコノミスト」「ダイヤモンド」など多くの経済誌が年末にこぞって出す「来年の経済予測」と銘打った特集号。専門家から見て、各誌それぞれの特色はあるのでしょうか?
飯田泰之(以下、飯) 基本的には、あまり特色を出さないようにしていると思います。来年の景気について楽観している人と悲観している人の両論を併記して、雑誌としての主張はそこまで強くない。そもそも日本の経済論壇は、いつも弱気な人といつも強気な人の2つにパックリと分かれているんですよね。そして、いつでも弱気な人のほうが多い。
──海外のエコノミストは違う?
飯 海外の経済学者のブログなどをチェックしていると、同じ人でも悲観と楽観がその都度交錯するのが普通ですが、日本の場合は悲観の人は毎回悲観するばかりで……たまに楽観的なことを言うと、「あいつは“芸人だ”」なんてことを言われてしまう。日本のインテリ業界では、とりあえず「懸念がある」と言っておけばいいというところがあるので。
──確かに(笑)。
飯 なので、株や為替について「上がる上がる!」と強気なことを言いがちな人も、経済政策や財政絡みのマクロ経済については暗い予測をする傾向があります。景気が良いと予言しておいて実際には悪かったら叩かれるので、とりあえず弱気なことを言っておこうという(笑)。ただ、雑誌としてはやはり、株価が上がる話をしない限り読者が喜んでくれないという現実もある。なので、「来年は景気が良くなる!」なんて見出しではあおっていても、中身では悲観的なことを書いていたりするケースも多々ある。というかこの種の特集は、「当てるための予想をしていない」とも思うんですよね。
──どういうことでしょう?