――サブカルを中心に社会問題までを幅広く分析するライター・稲田豊史が、映画、小説、マンガ、アニメなどフィクションをテキストに、超絶難解な乙女心を分析。
TBS『逃げるは恥だが役に立つ』より。
原稿執筆時点で第7話までが放映されているドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』、通称『逃げ恥』が、会心の高視聴率をキープしている。
ストーリーは、なかなかに破天荒だ。京大卒で高収入のIT会社社員にして35歳の草食系メガネ童貞・津崎平匡(星野源)と、大学院卒という高学歴なのに派遣契約を切られた25歳の森山みくり(新垣結衣)が、恋愛なしの「契約結婚」をする話である。それぞれのメリットは、津崎が「家事要員の確保」、みくりが「就職先の確保」。みくりは“住み込みの家事労働”をすることで、食費や光熱費を差っ引いた“給料”をもらうのだ。
本作には、現代女子が直面する諸問題が巧みに織り込まれているが、我々男子が学ぶべきはズバリ、「高学歴女子、とにかく社会から必要とされたがってる問題」に尽きる。
みくりは論理的・合理的思考に長けた「賢い女」だ。ごく普通のコミュ力があり、男性遍歴も一般的。実家暮らしで両親との仲は良く、礼儀も常識もわきまえており、経済観念に優れ、マメで、家事全般が得意。(ドラマ内の設定では)絶世の美人というわけではないが、周囲に「かわいい」と評されるだけの顔面偏差値は持ち合せている。
にもかかわらず、彼女は就職に“失敗”した。新卒正社員として就職できなかったのだ。真面目に勉学に励み、人の道を踏み外すことなく、なんの瑕疵もなく育った「いい子」なのに、社会から必要とされていない(≒就職口がない)と突きつけられ、派遣社員に甘んじている。なんという屈辱、なんという理不尽だろうか。
つぶしの利かない「心理学」という専攻、「四大卒より2つ年上の院卒」という採用上の不利以上に、「才気走った女」「論理的思考にすぐれたモノ申す女」は、往々にして組織の年長者から煙たがられる。彼らの言う「そういう女は使いづらい」といった前時代的なダメ出しは、「能力で自分を圧倒されたら困る」の裏返し。無論、そうでない職場も年長者も世の中には存在するが、就職活動で出会える確率なんぞ天文学的に低いのが現実だ。
みくりのような境遇の、世の「賢い」女性たちは、悲しいかな自分の実力をまったく生かせない職場に次々と送り込まれる。そこでは、ゼミで交わした有意義な議論や、図書館に通いつめて血肉となった知識や、鍛え上げられた論理的思考力が、まったく役立てられない。機械的な伝票入力、ルーティンな備品管理、退屈な営業資料の清書、プリントアウトにコピーにホチキス留め。現代日本で専門的な学問が就職に役立たないことくらい、彼女たちはもちろん理解している。ただ、理解はしているが納得はできない。できるはずがない。
第1話で派遣契約を不本意に切られたみくりは、こうつぶやく。「誰かに選んでほしい。ここにいていいんだって認めてほしい。それは贅沢なんだろうか?」。切実すぎる。
しかも、彼女たちは品行方正な「いい子」なだけに、そこで自暴自棄になることも、レールを外れて規格外の人生を送ることもできない。後先考えずにバックパッカーとして海外に行くだの、「これはフィールドワーク」と自分に納得させてソッチ系の店に体験入店するだの、恥ずかしげもなく「WEBライター」の肩書名刺をばらまくだの……という思い切りは持っていない。満員電車で押し返すだけの図太さを持たない優しさは、彼女たちの美点だが、弱点でもある。自分がやりたいこと? 将来なりたい職業? そんなもの、地獄のような就職活動で、どこかに置いてきてしまった。もはや彼女たちの人生の目標は「わたし自身の自己実現」ではない。「誰かに必要とされ、感謝され、その感謝が可視化されること」である。
そんな彼女(みくり)の出したベストアンサーが、永久就職としての結婚だ。このファンタジーな展開を「嘘くさい」と一笑に付する年配層は、彼女たちの切実さがわかっていない。誰からも必要とされない圧倒的な絶望なんぞ、味わったことがないのだ。