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第2特集
春画、不幸なる近現代史【5】

【春画の近代史04・大正期~昭和期】“芸術”からの排除――昭和・平成の世を迎え“学問”化する春画

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江戸中期『すゑつむ花』円山応挙
葛飾北斎や喜多川歌麿だけならまだしも、名だたる寺院の障壁画や国宝「雪松図屏風」を手がけた江戸中期の絵師、円山応挙も春画を描いていると知れば、春画を学究の対象とするのも当然だと誰もが納得するかもしれない。本作は、源氏物語の一巻「末摘花」をモチーフとした組物が明治期に入って1冊にまとめられたもの。(国際日本文化研究センター所蔵)

 近代化が一段落ついたとき、日本人はやっと浮世絵の芸術性に気がついた。しかし、春画はなおそこからも排除され続けた。春画が学問の場に浮上するには、平成の世を待たねばならなかったのである。

 明治期の日本人に、春画はもちろん浮世絵に対してさえも、西洋近代的な意味での「芸術」などといった認識はほぼなかったであろう。そのため、春画を含む膨大な浮世絵作品が海外流出してしまったことはよく知られた事実だ。ようやく明治半ばの頃から、西洋において高い評価を受けている(例えそれが「ジャポニズム」的な視点を含んだものだとしても)ことがわかり、日本でも一部で浮世絵研究が開始される。しかし、それでもなお春画だけは、前項で触れた官憲による摘発もあり、その対象からはほぼ除外されていた。江戸期に活躍した浮世絵師のほとんどが春画を手がけているのにもかかわらず、である。よく考えればこれは、極めて奇妙なことだといえよう。

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