法と犯罪と司法から、我が国のウラ側が見えてくる!! 治安悪化の嘘を喝破する希代の法社会学者が語る、警察・検察行政のウラにひそむ真の"意図"──。
今月のニュース
東電旧経営陣強制起訴
福島第一原発事故の刑事責任をめぐり、東京地検は2013年、事故は予見できなかったとして東京電力の旧経営陣ら全員を不起訴処分に。それを受けて16年2月、検察審査会の起訴議決に基づき、検察官役の指定弁護士が東電・勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人を業務上過失致死傷罪で強制起訴した。初公判は17年以降に開かれるとみられ、裁判の長期化が予想される。
『公害・環境問題と東電福島原発事故』(本の泉社)
前回は、強姦や交通犯罪などにおいて、加害者が民事賠償によって“刑事責任を免れた”かのように見えるケースは確かに少なくないけれども、それはあくまで結果に過ぎず、実際にはそうではないことを解説しました。
ただし前回取り上げたのは、主に個人によって引き起こされる事件や事故で、誰の刑事責任を追及するべきか、すなわち刑事司法のシステム上、誰を“悪”とみなして罰を与えるべきかがはっきりしているケースばかりでした。そう聞くと、事件や事故で悪いのが誰かなど一目瞭然だろうと思われるかもしれません。しかし、案外そうではない。事件や事故の規模が大きくなれば、それだけかかわる人間の数は多くなり様相が複雑になるため、誰が悪いのか、誰に刑事責任を取らせるべきかはどんどんわかりにくくなっていきます。皮肉なことに、事件や事故の規模が大きく結果が重大であるほど、本来なら刑事罰を科せられるべき人間がそれを免れてしまうという、前回のべた原則に反する事態が起こりがちなのです。
そしてまさに今、“日本史上最大の犯罪”ともいえる事案において、そうした“不正義”がまかり通ろうとしている。そこで今回は前回に引き続き、事件や事故が起きたとき、誰を裁くべきなのか――誰を“悪”とみなし刑事罰を与えるべきなのか――という問題について、大小さまざまな例を挙げつつ考えてみましょう。