日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。
川崎区の仲見世通にあるバーで踊る、GO-GOダンサーたち。
100年前の川崎の夜も、こんなふうに欲望が渦巻いていたのだろうか。ビルの2階にあるガールズ・バーで、窓の外の喧噪を眺めながら思った。
川崎駅東口に出ると、正面に“仲見世通”というアーチが見えるだろう。それをくぐってしばらく進むと、通りはキャバクラだらけになる。また、東口から左手の方角には堀之内、右手の方角には南町というソープランドで有名なエリアが広がっており、いわゆるちょんの間も現存する。そういった風俗街としての川崎のルーツは、1623年に設置された東海道五十三次、2つ目の宿場・川崎宿の客のために作られた遊郭群にまで遡れるのだという。以来、川崎は男たちの欲望をエネルギーとして発展、一方、女たちもその中でしたたかに生き抜いてきた。
そして、今、眼下では、前の店のシャッターに汚い格好をした老人が酔い潰れてもたれかかり、それを若者たちがからかっている。その横では、スーツ姿のサラリーマンたちがキャバクラの呼び込みと交渉している。「さあ、ダンス・タイムはまだまだ続きますよ! 楽しんじゃってください!」。中階段から、ジャスティン・ビーバー「ソーリー」に乗せてマイクで煽る声が聞こえてきた。3階では、テーブルで踊るGO-GOダンサーの水着に、男たちがチップ代わりのドル札をねじ込む酒池肉林が続いているのだろう。みんな、そちらに行ってしまって、2階に客は自分しかいない。すると、階段をひとりの男が降りてくる。「何か面白いものでも見えますか?」。この店のスタッフで、STICKYという名前でラッパーとしても知られる彼は、気だるい口調で言った。「この街は、いっつもこんな感じですよ」。窓の外を、露出の多い格好をしてイヤフォンを付けた若い女が、慣れた足取りで酔客を避けながら通りすぎていく。