――蛍光灯のはじける音と飛び散る破片、突き刺さるフォークに竹串、割れる長机……毎月平均20試合をこなす、タフネスすぎるデスマッチ界のフリーランサー。
(写真/丸山剛史)
個人的には好ましい言葉だとは思わないが、いま世間では「プ女子」がよく話題に上る。プロレス好きの女子のことを指し、近年のめざましいプロレス人気復活に貢献しているとされる。最近では『マツコの知らない世界』(TBS系)でも「キュンキュンするプロレスの世界」と題して、そうしたファンの生態が紹介された。
一方で、地上波には絶対乗らないが、聖地・後楽園ホールをいっぱいにするプロレスのジャンルがある。「デスマッチ」だ。蛍光灯で殴り合い、カミソリが埋め込まれたボードに相手を叩きつけ、画鋲の海に沈め沈められ……血が流れる中で勝者が雄叫びを上げる姿は、確かに放送禁止の絵面だ。しかし、このプリミティブな興奮を求めて会場に足を運ぶ人は着実に増えている。若い女子や男子が「キーチガイ!キーチガイ!」とコールするさまは、壮観ですらある。
この狂気の沙汰に中学生の頃から憧れ続け、31歳の今ではメインマッチを飾るスター選手となったのが、竹田誠志だ。
「中学生の時、レンタルビデオ屋の隅っこで、血だらけのオッサンがジャケットになってるパッケージを見つけたんですよ。友達と『やばくね? 顔面白くね?』ってなって、借りて観たんです。そしたら『こんなプロレスあるのか』って衝撃を受けて。そこから、『週刊プロレス』でこれまでは読み飛ばしていたデスマッチのページをあらためて読み込んだら、葛西純っていう、めちゃくちゃかっこいい人がいたんです」
葛西純。現在もプロレスリングFREEDOMSでメインを張る、“デスマッチのカリスマ”と呼ばれるスーパースターだ。彼に惹かれた竹田少年は、高校進学後も、デスマッチへの憧れを募らせる。
「休み時間、友達と腕相撲するときに、机に画鋲を置いて、わざと負けて腕にめっちゃ画鋲刺して『すげぇだろ』みたいなことをやってましたね。高校の後輩で、今みちのくプロレスに上がっているフジタ “Jr” ハヤトというレスラーがいて、彼がインタビューで『竹田さんは高校時代、公園で頭で蛍光灯を割ったって自慢げに言ってきたことがある。“なんのためにそんなことやるんですか?”って聞いたら“将来のためだ”ってドヤ顔で言われた』って話していて。全然覚えてないんですけど、確かに高校の頃はそんなことばっかやってました」
高校卒業後、親や教師の反対もあり、すぐにはプロレスの世界に飛び込めなかった。専門学校に通いながら、体を鍛えようと地元・町田で総合格闘技のジムに入門。ZSTやDEEPなどに出場する日々を重ねた。そして07年、ようやくめぐってきたプロレスデビュー。翌08年10月には大日本プロレスに参戦し、憧れの葛西純とタッグ戦でぶつかり、血を流した。
「総合をやってる間もずっと頭の片隅にはデスマッチがあったから、デビューできたときはめちゃくちゃうれしかったですね。初めて蛍光灯で傷ができた日は、帰ってすぐに鏡で確認しました」
現在、どこの団体にも所属せず、フリーランスとして月に平均20試合をこなす。なかなか休みがない生活を送る原動力も、やはりデスマッチ愛にある。
「デスマッチを初めて見に来た人にも、どれだけ血を流してボロボロになっても、立って歩いて控室まで帰っていく、生きる力みたいなものを感じてもらえたらうれしいですね。『デスマッチってお金がいいんでしょ?』ってよく言われるんですけど、全然そんなことないんですよ。じゃあ、なんのためにやってるかって、僕の場合はただただやりたいから、それが快感だから。やめたら腑抜けになって、一気に老けると思います」
そう言って、傷痕で引き攣れて閉じ切らないまぶたをしばたたかせて、リング上の狂気とは程遠い笑顔を見せるのだった。
(文/松井哲朗)
竹田誠志(たけだ・まさし)
1985年8月13日生まれ。東京都町田市出身。レスリングに明け暮れた高校卒業後、田村潔司が主宰するU-FILE CAMPに入門し、総合格闘技の道へ。07年にプロレスデビューを果たし、翌年10月にはデスマッチデビュー。フリーランスのレスラーとして、大日本プロレスやFREEDOMSなど、さまざまな団体のリングに上がる。大の広島カープファン。
『DEATHMATCH EXTREME BOOK 戦々狂兇』
価格/2700円(税込)刊行/サイゾー
竹田選手を含む、現在のデスマッチシーンを牽引するレスラー+レジェンド計8組9人の撮り下ろしフォト&インタビューブック。表紙の顔は、本文で紹介した“デスマッチのカリスマ”葛西純。