『浜崎あゆみ』
9月19日に放映された『ミュージックステーション』30周年記念番組『ウルトラFES』(テレビ朝日)に歌手の浜崎あゆみが出演。3曲を披露するも、ネットではそのパフォーマンスに対して「放送事故レベル」と批判の嵐。「いや、My Little Loverのほうがキツかったよ」という声はまだあがっていない。
10代の頃からヒップホップばかり聴いている私のCD棚には、1枚だけ浜崎あゆみのシングル「Depend on you」が並んでいる。24歳の誕生日に、ある女の子からプレゼントされたものだ。
当時の私は、1日中ハガキにスタンプを押したり、工場内のダンボールをあっちからこっちに移動させるという、無限ループのクソゲーみたいな日雇いバイト生活を送っていた。そんなフリーターと名乗るのもおこがましい私に、なぜか興味を持ってくれた大学院生の女の子。彼女は浜崎あゆみが好きだった。
「まだキミの趣味とかよくわからないから、私の好きなものをあげるね」
そう言って、このCDをくれたのだ。
あなたがもし旅立つ
その日が いつか来たら
そこからふたりで始めよう
おそらくこの歌詞は、私に向けてのメッセージだったのだろう。
その後、日雇いバイト生活から抜け出すことはできたものの、あまりのうだつの上がらなさに見切りをつけた彼女は、そそくさと私のもとから旅立ってしまい、結局そこからひとりで始めたのだった。
そんな苦い思い出もあって、それ以降、浜崎あゆみを追いかけていない。今考えれば、彼女に励まされたというより、浜崎あゆみに励まされたといっても過言ではないのに。
時は過ぎ、40歳になった私は、テレビで久々にあゆを見た。『ミュージックステーション』30周年記念番組『ウルトラFES』(テレビ朝日)というやつだ。
「あの頃のあゆと違う……」そう思った。
今、ネットで言われているような「声が出ていない」「太った」「劣化した」という意味ではない。
私が知っている頃のあゆは、バックバンドを従え普通にひとりで歌っていた。だが今はどうだ、なんかEXILE崩れのごときダンサーを大勢従え、動き回っているではないか。
油断するとダンサーの中に埋もれてしまい「あゆを探せ!」みたいな、「木を見てあゆを見ず」みたいな状態になってしまう。とはいえ、華やかだ。歌い方も昔に比べ力強い。
たくましいと思った。うだつの上がらぬまま40歳を迎えた私に比べ、あゆは進化し続けているのである。
ファンというのは、ある意味無情だ。アーティストが年齢を重ねていこうとお構いなしにクオリティを求め「歌って! 踊って! きれいでいて!」と要求してくる。
あゆはその要求にこたえてきただけだ。プロだから。
そうはいっても、声帯だって衰えてくるんだから、その分歌い方でカバーしますよ。メイクだって厚めに塗りますよ。劣化、劣化って言うけどね、あゆが劣化したんじゃなくて、テレビの画質が進化しすぎたの! それとね、これだけ動いてるんだから食わなきゃもちませんよ。清原だって現役時代、肉体改造するとかいって、今みたいな体形になったでしょうよ。例え悪いけど。
結局、今のあゆというのは、ファンが望んだが故の産物なのではないかと思うのだ。現実(あゆ)VS虚構(ファン)みたいな、『シン・ゴジラ』みたいな。観てないけど。ずっと他人からの期待にこたえ続けるというのは並大抵のことではない。宇多田ヒカルだって「私に求められてたものから逃れた」ようなことを言って休業しているじゃないか。
そう考えると、ありのままのあゆというものに、もう少しみんな寛容になってはどうだろうか。
しかも、離婚したばかりなんでしょ。もっと優しくしてあげようよ。なんならチャンスだよ、チャンス。前の旦那、大学院生だったんでしょ。どういういきさつかは知らないけど、大学院生なら接触できる可能性があるってことでしょ!?
あの日、大学院生の女の子を通して、救ってもらったように、今度は私が大学院生となってあゆを救うぐらいの気持ちがある。なんならあの大学院生は、実はあゆでした、みたいなストーリーだったらちょっと素敵じゃない!? そんな妄想ばかりが先行しているので、受験勉強どころか、どうやって受験すればいいのかすら調べちゃいないが。
最後に『ウルトラFES』を見返していたら、あゆが歌い終わった直後、あゆとダンサーの間から、バックバンドの野村義男が調子にのってピースをしていた。こっちのほうがよほど炎上すべきではないかと思うのだが、どうだろうか?
西国分寺哀(にしこくぶんじ・あい)
歌手デビュー前、Vシネの『湘南爆走族』に出た時の浜崎あゆみが、かわいすぎて忘れられない40歳会社員。avexの入社試験を受けたことがある。