上:《防砂林の手入れ》、青森県上北地域、55-61年 下:小川原湖(青森県上北郡東北町)周辺、55-61年
沖縄の東村高江では、米軍北部訓練場のヘリパッド建設に抗議する市民に対して、機動隊による暴力的な規制が参院選明けから続いている。この高江には1964年に「ベトナム村」が作られ、住民たちが駆り出されて、ベトナム戦争における対ゲリラ戦の訓練が実施されたという。当時、アメリカの施政権下で本土と異なる戦後を歩んでいた沖縄は、こうした訓練の場になっただけでなく、ベトナム戦争の後方基地として多くの兵士や爆撃機、物資などを送り出していたため、現地では「悪魔の島」と呼ばれ怨嗟の的となった。米軍基地の集中に伴う被害や恩恵だけでなく、ベトナム侵略という加害をも引き受けたのが、戦後、日本国憲法の適用外に置かれたことで再び戦場と接続された沖縄なのだった。