――ビデオジャーナリストと社会学者が紡ぐ、ネットの新境地
[今月のゲスト]
斎藤 環[精神科医・筑波大学医学医療系教授]
『18歳からの民主主義』(岩波新書)
選挙年齢が18歳に引き下げられた。若者の選挙参加という視点から、多くのメディアが概ね好意的に取り上げたが、これは妥当だったのだろうか? 若者の自立や成熟を促す制度が確立されていない日本において、選挙年齢引き下げから浮き彫りになる、「引きこもり」の問題など若者対策の現状を見ていこう。
神保 6月19日の改正公職選挙法施行で、今回の参院選より18歳から選挙権が認められました。この18歳選挙権と日本の現状について議論していきたいと思います。
宮台 ただでさえ大人が幼児化しているなかで、選挙権の資格年齢に関する議論がどういう意味を持つのか、以前ほど自明ではありません。しっかり考える必要があるでしょう。
神保 ゲストをご紹介します。精神科医で、筑波大学医学医療系教授の斎藤環さんです。斎藤さんは、基本的に18歳選挙権には反対の立場を表明されており、明確に「反対」という人は初めてお会いしました。まずは総論的に教えてください。なぜみんなが大歓迎しているこの18歳選挙権に逆張りされているのでしょうか?
斎藤 第一に、「選挙年齢を下げれば自立が促される」という発想が間違っていることは、現在のハタチの若者を見れば一目瞭然です。本当に彼らは自立しているか、我々が自立した大人として扱っているかと考えれば、まったくそんなことはなく、思春期のコドモ扱いでしょう。選挙年齢を18歳に引き下げたところでそれが変わるわけではなく、自立を促す可能性は限りなくゼロに近いと思います。
もうひとつ、「欧米並みにする」という発想があります。つまり将来的に成人年齢の引き下げということも考えると、これは一見、権利を拡充するかに見せかけて、負担や義務の拡充にすぎない。少年法などもそうですし、あらゆる方向で若い人の背中に義務がのしかかります。個人をサポートする体制ができていない今の段階で負担だけを増やしていけば、ただでさえ弱者化している若者が、ますます社会的に排除されてしまう。
宮台 「自己責任論が蔓延するなか、自立できない人が自業自得だと放置される」という流れです。一見そう見えなくても、18歳選挙権は新自由主義の極致だということですね。
神保 もともとの発端は、憲法改正の手続きにおける国民投票の資格を、突然18歳にしたことでした。その段階で国政選挙は20歳からであり、これも合わせようということになった。聞くところによると、若者は憲法改正には比較的柔軟というか前向きであり、18歳なら憲法改正に対する戦後特有のアレルギーを知らないから、改憲しやすくなるという不純な動機があったのでは……という向きもあります。
読売新聞が2016年5月に調査したところによると、成人年齢18歳への引き下げについて、18~19歳は賛成35%で、反対64%。当事者には反対のほうが多いんです。
斎藤 当事者も権利より負担が増えるということを予感しているので、引いている感じがはっきり出ていると思います。
神保 現成人たちに聞くと、賛成45%、反対54%と、より多くの人が賛成しています。一方、少年法の適用年齢引き下げについては、毎日新聞による2015年7月の調査で80%が賛成という結果が出ています。
斎藤 やはり大人側の意識としては、権利の拡大ではなく、負担や義務を増やそうという意識が働いていることがわかります。
宮台 ダブルスタンダードです。性教育に関する議論が典型ですが、日本は諸外国に比べて幼い頃に試行錯誤をさせず、安心・安全・便利・快適の枠内で、道徳的な葛藤に出会うことがないように育てられます。なのに、突然「18歳からすべては自己責任」と宣告する。明らかに矛盾した要求です。これを当事者たち自身が整合させることは不可能です。
もしも「18歳からすべては自己責任」と宣告するなら、遅くとも中学校以降は、自己決定的な試行錯誤の可能性が保証されなければなりません。むろん交渉力や知恵が乏しいぶん、試行錯誤の失敗で、試行錯誤の前提となる尊厳すなわち自己価値の感覚が破壊される可能性があるから、成人よりも制限された試行錯誤にならざるを得ません。
斎藤 これだけ自己責任論が盛んな状況下で、選挙年齢、成人年齢だけ下げても、結局彼らは権力を行使する以前に、押し付けられた負担と義務に押しつぶされてしまうだろうという懸念が大きいです。若者をサポートする体制がまったくできておらず、日本はOECD加盟国の中で唯一、青少年を担当する専門の省庁が存在しません。手厚いサポートが恒常的にないなかで、より早い段階で寒風吹きすさぶなかに放り出すようなことをすれば、結局は昨今増えつつあるヤングホームレスがさらに増えるか、引きこもりが増えるかです。