――SMAPの“育ての親”飯島三智女史が”SMAPの乱”に勝利するには、何が必要だったのか?企業統治論、企業経営史、そして歴史の専門家たちが、知恵を絞って「戦の指南書」をサジェスチョン!
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嵐も味方につけていれば飯島女史が勝った可能性も
長年、足利尊氏を描いたものであるとされてきた、京都国立博物館所蔵の騎馬武者象。近年の研究で、高師直を描いたものではないかという説が濃厚となっている。
過去に起きた有名企業のお家騒動を振り返ると、同族企業の2代目と叩き上げの実力者による権力闘争の例は多々ある。『日本100大企業の系譜』(メディアファクトリー新書)などの企業研究本を多数出版する菊地浩之氏は、大正製薬の事例を挙げる。
リポビタンDなどで知られる製薬大手の大正製薬は、1912年、石井絹治郎によって設立された。43年、絹治郎が亡くなると息子の石井輝司が後を継いだが、ほどなく戦争に召集されてしまう。その間、実質的に経営の指揮を執ったのは、丁稚奉公から絹治郎に見いだされ、取締役に抜擢された上原正吉だった。能力は輝司よりも上原のほうが上。結局、輝司が帰還した後も社員は上原を支持し、上原は46年に社長に就任。株を買い集めて上場し大金持ちになった。
同様の事例にブリヂストンもある。
「1931年に石橋正二郎が創業した世界的タイヤメーカー・ブリヂストンは、63年に長男の幹一郎が継ぎましたが、73年に正二郎が幹一郎を更迭して以降、サラリーマン経営者が代々社長を務めています。ジャニーズの場合も、もしジャニー氏が鶴の一声で飯島女史を選んでいれば、メリー氏もそれに従わざるを得なかったかもしれません」(菊地氏)