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――批評家・宇野常寛が主宰するインディーズ・カルチャー誌「PLANETS」とサイゾーによる、カルチャー批評対談──。

宇野常寛[批評家]×成馬零一[ドラマ評論家]

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『火花』(文藝春秋)

ピース・又吉直樹による小説『火花』の映像化が、地上波ではなくNetflixであることが発表されたことは、驚きをもって迎えられた。各者のさまざまな思惑を含みながら、脂の乗った映画監督たちを起用して作られたこのドラマ、日本でもまだ数少ないNetflixオリジナル作品として世に放たれるには十分な説得力を持った出来であった──。

成馬 小説『火花』がベストセラーになったときは、「お笑い芸人が書いた小説が芥川賞を受賞した」という話題が先行していて、内容面にまで話が及んでいなかった印象がありました。実際、小説ではわかりにくい部分があったのですが、ドラマ版を観ていると、『火花』が描いていたことがなんだったのか、よくわかります。

 全10話で、1話につき1年分くらいの時間経過で描かれるじゃないですか。舞台は2001年から10年頃で、つまりこれってゼロ年代の青春ドラマなんだな、と。微妙な懐かしさがありました。基本的には徳永(太歩)と神谷(才蔵)という2人の若手芸人の話で、彼らはゼロ年代以降のお笑いブームの中で、そこで生まれたルールに則ったゲームを戦わされている大勢の芸人のうちのひとりにすぎないんだ、という小説ではわかりにくかったことが、ドラマ版ではよくわかる。

 神谷は、もしかしたら松本人志になれたかもしれなかった天才型の芸人だったけど、ゼロ年代以降、キャラクター文化がお笑いに流入したことで、芸人の生き残り手段が「面白いキャラをどう演じるか」という勝負になってしまって、芸人を作家として捉える文化が総崩れしてしまった。『M-1グランプリ』のようなコンテストがその比重を高めていく中で、神谷のような芸人がどうなっていくのか、というのがドラマの基本になっていたと思う。

 もしゼロ年代にこの作品が作られていたら、神谷が最後に死んで、残された徳永が思い切りキャラを押し出して売れて成功する、という終わり方になっていたと思うんですよ。でも、そこで終わらずに、それよりも少し先まで描かれるのが面白かった。そこに多分、又吉が芥川賞を獲ったことと、この作品がNetflixで作られたことの意味が透けて見えるんじゃないかな、と思います。

宇野 原作の小説については僕は、特に興味はないんですよね。ただ、このドラマ版はなかなか面白かった。どこが面白いかというといろいろあるんだけれど、原作の処理で言うと、この小説家デビューによってマルチタレントへと舵を切った又吉が無意識のうちに書いてしまっているところを拾って再解釈することで、ぐっと射程が長くなったと思う。

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