Amazon.comによるKindle Unlimitedのサービスが開始された。哲学者・萱野稔人氏は、「月刊サイゾー」の連載において、『複製技術時代の芸術』(ヴァルター・ベンヤミン/晶文社)を引用しながら、複製できる芸術の登場により、書物などの作品からアウラが消滅する事を論じている。
ここでは同氏の著作『哲学はなぜ役に立つのか?』のKindle版、そしてKindle Unlimited配信を記念して、特別インタビューと同テーマを扱った連載を再録したい。
『哲学はなぜ役に立つのか?』好評発売中
――書名は『哲学はなぜ役に立つのか』というタイトルですが、そもそも哲学って具体的に何かの役に立つことはあるのでしょうか。
萱野 多くの人は哲学のことを、プラトンやアリストテレスに始まって、デカルトやヘーゲル、カントなどの哲学者がどんな思想を持っていたのかを学ぶもの、というイメージを持っています。それだと哲学が役に立つという感覚は確かにしないですよね。ただ、当然ですが、哲学はそんな哲学史の知識にとどまるものではありません。哲学はあらゆる分野に広く実践できるものなんですよ。
――普通に暮らしていて哲学を意識することはほとんどないですが……。
萱野 どんな問題でもいいのですが、例えばクオータ制の導入について賛否の分かれる議論がされていましたよね。これも哲学的な問いといえます。
――クオータ制というのは、女性の社会進出を促すためにリーダーや管理職などに女性が占める比率を決めて優先的に割り当てる制度ですね。政府は2020年までに社会のあらゆる分野で、指導的地位に女性が占める割合を30パーセント程度にするという目標を掲げています。
萱野 これは、限られている指導的地位や管理職のポストをどのように割り当てれば、平等で社会的な正義にかなうものになるのかという問題です。現在は社会進出している男性の数が女性に比べて圧倒的に多いので、能力だけを基準にすれば必然的に男性の占める割合は高くなります。それならば男女平等の実現のためにも優先的に女性を割り当てるべきだという主張があり、一方でクオータ制によって本来なら管理職になる能力のある男性がポストから外されるのであれば男性への逆差別になるという主張もあります。
欧米の議論ではクオータ制は導入すべきだという結論に傾いているようですが、これはすぐに明確な答えが出る問題ではありません。そんな答えのない問いに、どのように道筋をつけて自分なりの答えを出すのか、哲学はその思考をする力を身につけるためのものなのです。
――「考える力」そのものということであれば、確かにどんな分野にでも応用できます。今回の新刊も、そういった哲学を使って考える力を身につけるための本ということですね。
萱野 本書は月刊誌『サイゾー』で2010年8月号から2013年12月号まで連載していた全40回のコラム「哲学者・萱野稔人の“超”現代哲学講座」の前半20回分がもとになっています。このコラムは、哲学の古典的な文献に結びつけながら、答えの出ない現代的な問題について、どのように考えたらいいのか思考のモデルを示したものといえます。もともと専門誌ではない『サイゾー』に連載されていたものですし、基本的に哲学的な専門用語を使わずに書いているので、哲学の知識がない人でも読みやすい内容になっていると思います。
――ウィキリークスの機密暴露を受けてインターネットの集合知が国家を越えられるかという問題を考えたり、欧州の債務危機から資本主義国家に共通する経済成長と債務危機の構造を指摘したり、幅広い問題が20講にわたって論じられています。
萱野 取り上げているテーマは、連載当時に発端があった時事的なものですが、そこで展開している議論は今でも通じるものになっています。私自身の哲学の方法でもあるのですが、哲学的に物事を考えるということは、物事の基本的な要素を取り出しながら考えていくということです。
例えば本書では、島田紳助さんの芸能界引退から、ヤクザと国家の共通性について論じている講があります。そこでは、そもそもヤクザとはどういう存在で国家とはどういう存在なのか、そしてヤクザのみかじめ料と国家の税金はどこが違うのか、問題をそういった基本的な要素に分解して“概念”を把握し、それをもとに問題を理論的に再構成して本質を見極めていきます。
時事的な問題を取り扱いながらも、このように概念を使って考えることで、思考のモデルとしては普遍的なものになっているはずです。さらに一冊にまとめるにあたって大幅に加筆修正を加え、時間が経っても色褪せないものになるよう心がけたつもりです。
――どんな人にこの本を読んでほしいと思いますか。
萱野 哲学に興味があるという人だけでなく、物事を考える力を身につけて知性を磨きたいというすべての人に読んでもらいたいですね。
――哲学に興味のない人にも「哲学が役に立つ」という実感は得られるでしょうか。
萱野 ビジネスシーンでも哲学的な思考は役に立つはずです。例えば、新商品の企画やマーケティングの戦略を考えたり、日常的な会議でプレゼンをしたりするような場においても、概念=コンセプトを使って考えることが必要不可欠です。そのコンセプトから“知”をアウトプットするという行為は哲学の活動そのものなんですよ。
また、交渉の場で何らかの合意やルールの確定を目指すような場でも、コンセプトを通じて自分の意見をより説得的なものにする必要がありますが、その能力も哲学的な訓練によって鍛えられていくものなんです。知性のすべての基本はコンセプトを使って考えるということですから。本書を読むことで、多くの人に哲学がこんなふうに使えるんだということをぜひ体験してほしいです。
――萱野さんが哲学に限らず、さまざまな分野で活躍されているのもそうした哲学的な思考を実践しているからということでしょうね。
萱野 哲学の効用って、一般知や専門知に関係なくあるものなんですよ。広く言ってしまえば、人間は言葉を使って物事を考えますが、それを純化したものが哲学ですから、哲学を実践することで考える力が磨かれますし、世界や社会の見方に奥行きを持たせることになるんです。
――哲学的に考えるということは、ちゃんと実践できればすべてに通じるんですね。
萱野 少子高齢化や世界的な経済の低成長、債務危機の中でどう社会を維持していくか、価値観や宗教が異なる文化との共存など、現代にはこれまでのやり方では答えの見つからない課題が山積みとなっています。そういう課題を解決に向けて考えるときに求められるのは、ネットで検索すれば誰にでも手に入るような知識ではなく、概念的に要素を取り出していきながら本質を見定めていく思考力です。課題解決能力を養うためにも、やっぱり哲学的に考えることが大切なんです。かつては、誰も見向きしなくなった古典芸能か一部の知識人の知的遊戯として終わった学問のように思われていた哲学ですが、現代こそ哲学が必要な時代ではないかと思います。
(文/編集部)
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