――我々が価値を信じているセックスとは実はごく限定的な、この現代の日本社会に成立しているものにすぎない。もっと広く深い射程でその行為を捉え返すべく、アフリカやアマゾン、ミクロネシアなど異なる社会に発生した「性」のあり方をひもときながら、ヒトのセックスとは果たして何か? を突き詰めてみよう。
「セックスの霊長類学/人類学」「セックスと社会」「生殖から遠いセックス」「セックスと身体」という4つに区切って、幅広く「セックスなるもの」を考察する良書。
いつの時代も、セックスに関する話題は尽きない。メディアでもセックス論は花盛りだし、最近では湯山玲子&二村ヒトシの論客2人による『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』(幻冬舎)という刺激的なタイトルの対談本が出版された。
セックスというのは、ごく私的な行為である。そのため、我々はついこれを「個人の問題」と捉えてしまい、語る際も主観的な持論や体験談を元にした議論に陥りがちだ。優れた考察ももちろんあるが、大半は“俗流セックス論”の域を出ない。
しかし、一方でセックスは生殖行為であり、世界中の至るところで行われ、また人類の誕生以来絶えず繰り返されているものでもある。さらに、セックスするのは当然ながら人間だけではない。よく考えたら、こんなにも普遍的なテーマはほかにないかもしれない。
そんなセックスという分野について、歴史的かつワールドワイドな視野で探求している学問がある。それが文化人類学だ。そこではどんな研究がなされているのか? 立教大学異文化コミュニケーション学部教授であり、『セックスの人類学』(春風社)の共編者でもある奥野克巳氏に話を聞いた。
「生物学的に言うと、セックスの始まりは14億年前。雌雄の遺伝子を混ぜ合わせて増殖する生命体の誕生がその起源とされています。これはいわゆる“有性生殖”で、同じ遺伝子をコピーしていく単性生殖に比べ、常に新しい個体を作っていくため変化する環境への対応という点で優れていました。一方で、雌雄の性ができたことにより、異性と出会う必要性や異性をめぐる同性間の争い、セックスする二者間の葛藤やすれ違いといった問題も発生した。以来、我々ヒトを含む生物は、それぞれの環境や身体性とも呼応しながら、実に多様なセックスを行ってきたわけです。文化人類学では、各地のフィールドワーク調査から比較文化的に性が研究されてきました」